宮津藩知事・本荘宗武の三男として生まれる[1][3]。1892年(明治25年)7月、子爵・伊集院兼寛の養子となり、兼知と改名[1][3][4]。養父の死去に伴い、1898年(明治31年)4月29日に子爵を襲爵した[1][4][5]。
1892年、学習院中等科を卒業[4]。1896年(明治29年)主猟官に就任[2][4]。1904年(明治37年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[6][7]、研究会に所属して活動し[2]、5期在任して1939年(昭和14年)7月9日に退任した[2][4]。その他、臨時治水調査会委員、狩猟調査会委員などを務めた[2]。
1939年9月8日に隠居し[1][8]、家督は二男・兼高が継承した[1]。