伝山性賢

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伝山 性賢(でんざん しょうけん、弘治2年(1556年) - 天正5年7月2日1577年7月17日))は、戦国時代の女性。室町幕府の13代将軍足利義輝の娘。

弘治2年(1556年)、足利義輝の長女として生まれた[1]。母は不詳[注釈 1]

時期は不明ながら出家し、宝鏡寺の住持となる。「総持寺殿」と称された[3]

永禄6年(1563年)3月、松永久秀の許に人質として下向し、大和に赴いていた山科言継がその途中の19日に謁見している[3]。この人質の提出は、義輝の行動に不信を抱いた三好氏側が求めたと考えられ、同時に三好氏が将軍に優越することを露骨に世間に示そうとしたものであった[3]。だが、将軍の姫君が臣下のもとに送られるということは前代未聞であり、三好氏がいかに振興する義輝を脅威と感じていたかを窺い知ることができる[4]

天正5年(1577年)7月2日、死去した。享年22。

脚注

参考文献

関連項目

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