この言葉は『孟子』の盡心下が由来である。それによると、孔子の言葉では似ているがそうではない物を憎むとのことであった。莠を憎むのは穀物の苗を乱すのを恐れているからであるとのこと。佞を憎むのは儀の精神を乱すのを恐れているからであるとする。利口を憎むのは信の精神を乱すのを恐れているからであるとのこと[3]。これらの文では似て非なるものについてを言及していたのであった[4]。
玉塵抄では、俗世間において行なわれている希薄な学問というのは、元々は学問というものではないために、このような学問をするということは学問をするということに似て非なるものであるとされている[5]。
岡本かの子は、怠け者が存在しており、その怠け者は口が上手であるということにすがって生きてきたとする。その口が上手であるということ乗じることができて物事を行なってきたならば、それは慈悲に似て非なるものであるとしている[5]。