佐々木岩次郎
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ささき いわじろう 佐々木 岩次郎 | |
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佐々木岩次郎 | |
| 生誕 |
嘉永6年12月8日生まれ 京都市佛具屋町通り松原下ル |
| 死没 | 1936年12月29日(83歳没) |
| 国籍 |
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| 職業 | 建築家 |
| 代表作 | 平安神宮蒼龍白虎楼及応天門 北野天満宮楼門及格連子塀 昭国神社造営 宮崎神宮造営 官幣大社朝鮮神宮造営 上杉神社造営 三井家顕名霊社 府社富岡八幡宮々殿外各営造物 居木神社々殿外営造 東本願寺寺本堂・本堂門 豊国廟唐門及手水舎 増上寺 円覚寺 大方丈 書院庫裡 本門仏立財団本部本堂 京都嵐山法輪寺多宝塔 旧前田家本邸 和館 三井八郎右衞門邸 |
佐々木 岩次郎(ささき いわじろう、嘉永6年12月8日 〈1854年1月6日〉 - 昭和11年〈1936年〉12月29日)は、日本の建築家。帝室技芸員 [1]。明治から昭和初期にかけて活動し、主に神社仏閣や伝統建築の分野で多くの業績を残した[2]。
京都市の建築業の家に生まれ、名匠・木子棟斎に師事して建築術を修めた。明治10年(1877年)の大本山本願寺本堂再建に棟梁補佐役として携わったのを皮切りに、内務省の古社寺保存計画に基づく旧蹟建築物の調査・修理監督、大本山増上寺大殿の再建主任技師などを歴任した。その功績により大正6年(1917年)に帝室技芸員を拝命した。
また、個人邸宅や洋風建築(京都貯蔵銀行本店など)も手掛けた。明治43年(1910年)には日英大博覧会への出展監督として渡英し、欧州建築を視察するなど幅広い分野で活動した。大正11年(1922年)に佐々木建築事務所を創設し、後進の育成にも尽力するなど、近代日本の建築界において重要な役割を果たした。



嘉永6年(1853年)12月、京都市下京区松原町にて佐々木伊兵衛の長男として生まれる。実家は4代前から建築業を営んでおり、その志を継いだ岩次郎は、明治2年(1869年)頃より建築設計に従事した。当時の名匠・田中平兵衛や木子棟斎の門下に入って建築術を修め、明治10年(1877年)には、京都大谷派本願寺本堂再建の際、棟梁・木子棟斎の補佐役として設計および工事監督の任に当たった。明治29年(1896年)には内務省の古社寺保存計画に関する調査を嘱託され、奈良、京都、平泉の旧蹟建築物の調査および修理監督に従事した。その功績により大正6年(1917年)に帝室技芸員を拝命した。大正11年(1922年)に次男の佐々木孝之助を補佐として佐々木建築事務所を創設したが、昭和6年(1931年)12月に同事務所の顧問となり、孝之助を所長とした[3]。
職歴
明治21年(1888年)、東京市の建築、土木、消防の監査業務に従事した。明治28年(1895年)には第4回内国勧業博覧会の開催に関し、東京市の建築、土木、工芸、美術の調査、設計、施工、監督、保守、修理業務を担当した。明治31年(1898年)には浅野総一郎に招聘され、主任技師として芝区の本館(俗称:紫雲閣)の設計監督に当たった。さらに明治43年(1910年)には日英博覧会開催に際し、東京市実業同盟会出陳の東京館設計監督を委嘱され渡英。帰路には英仏独露の建築を視察した。また、大正2年(1913年)には大本山増上寺大殿再建の主任技師を命じられた。佐々木建築事務所を創設した後、昭和11年(1936年)12月に同事務所を勇退(あるいは退去)した[3]。
伊東忠太との関わり
佐々木岩次郎は、日本建築史学の創始者である伊東忠太と多くのプロジェクトで協同しており、実務面で伊東を支える重要なパートナーであった[3][4][5][6]。
- 平安神宮の造営:明治28年(1895年)の平安神宮創建に際し、伊東忠太、木子清敬と共に設計陣に名を連ねた。若き研究者であった伊東が平安京朝堂院の復元考証を主導したのに対し、佐々木は実務的な設計と施工管理において中核的な役割を果たした。現在、重要文化財に指定されている応天門、蒼龍楼、白虎楼などは、この三者の共同設計によるものである。
- 主要神社における協同:伊東が設計や顧問を務めた主要な神社造営において、佐々木はしばしば実務の委嘱を受けた。朝鮮神宮(1919年)や上杉神社(1919年)の造営はその代表例であり、伊東の構想を現実の建築として具現化する上で、佐々木の伝統建築に対する深い造詣と技術が不可欠であったとされる。
- 技術的信頼と委嘱:伊東は自らの設計案件を佐々木に正式に委嘱することがあった。医学博士・入沢達吉邸(1906年)はその一例である。また、伊東は自らの作品記録において、佐々木を「分担」や「主任」として明記しており、設計の細部を任せられる共同制作者として高く評価していたことがうかがえる。
人物・エピソード
- 佐々木岩次郎の次男・孝之助と雪子(柳瀬)の結婚式(1928年)の集合写真は、岩次郎の家族・親族構成を知る貴重な史料である。写真には、建築家・佐々木岩次郎と妻のマスが座り、次男の孝之助・雪子夫妻、長男の虎之助・清美、三男の栄三郎、娘の季子(すえこ)ら、多くの親族が一堂に会している[2]
建築作品
| 当時の名称 (舊字体) | 現代の漢字表記 | 所在地 (舊漢字表記) | 所在地 (現在) | 建設年 | 建築の分類 | 現況 | 現在の対応する建物名/備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 第一絹糸紡績株式會社󠄁 | 第一絹糸紡績株式会社 | 京都市上京區 | 京都府京都市上京区 | 明治21年 / 1888年 | 銀行、會社、事務所等 | 現存不明 | 会社は解散・統廃合済み。建物に関する公開情報なし。 |
| 京都織物會社倉庫及事務所 | 京都織物会社倉庫及び事務所 | 京都市上京區 | 京都府京都市上京区 | 明治23年 / 1890年 | 銀行、會社、事務所等 | 現存せず | 会社は解散(1968年)。建物は解体された可能性が高い。 |
| 京都貯藏銀行本店 | 京都貯蔵銀行本店 | 京都市烏丸通り | 京都府京都市(烏丸通周辺) | 明治40年 / 1907年 | 銀行、會社、事務所等 | 現存不明 | 銀行は統廃合を経て現存せず。 石造洋館 |
| 酒井商店ビルディング | 酒井商店ビルディング | 東京市京橋區 | 東京都中央区(旧京橋区) | 昭和3年 / 1928年 | 銀行、會社、事務所等 | 現存不明 | 詳細不明。鉄筋コンクリート造 |
| 淺野總一郎氏本館(俗稱 紫雲閣) | 浅野総一郎氏本館(俗称 紫雲閣) | 東京市芝區 | 東京都港区(旧芝区) | 明治31年 / 1898年 | 住宅及その他附属等 | 現存せず | 豪奢な建築として批判され、戦災前に取り壊しや敷地分割が行われた可能性が高い。 |
| 日英博覧會東京館 | 日英博覧会東京館 | 英京ロンドン | イギリス ロンドン | 明治43年 / 1910年 | 學校、病院、工場等 | 現存せず | 1910年の博覧会展示館のため、会期終了後に解体されました。【金牌受領】 |
| 大正天皇御大典記念京都市迎賓館 | 大正天皇御大典記念京都市迎賓館 | 京都市 | 京都府京都市 | 大正4年 / 1915年 | 住宅及その他附属等 | 現存不明 | 詳細不明。現在の京都迎賓館とは別物。 |
| 東京府立第三中學校淡交會館 | 東京府立第三中学校淡交会館 | 東京市 | 東京都 | 昭和6年 / 1931年 | 學校、病院、工場等 | 未着工 | 工学博士岸田日出刀氏協同製作工事実現せず。 |
| 二十八組小學校講堂 | 二十八組小学校講堂 | 京都市上京區 | 京都府京都市上京区 | 明治7年 / 1874年 | 學校、病院、工場等 | 現存せず | 学制改革や統廃合により廃校・解体された可能性が高い[7]。 |
| 中立賣元中學校 | 中立売元中学校 | 京都市上京區 | 京都府京都市上京区 | 明治9年 / 1876年 | 學校、病院、工場等 | 現存せず | 学制改革や統廃合により廃校・解体された可能性が高い。 |
| 十八組修徳尋常小學校 | 十八組修徳尋常小学校 | 京都市下京區 | 京都府京都市下京区 | 明治10年 / 1877年 | 學校、病院、工場等 | 現存せず | 学制改革や統廃合により廃校・解体された可能性が高い。 |
| 大谷派本願寺今熊野中學校校 | 大谷派本願寺今熊野中学校校 | 京都市 | 京都府京都市 | 明治27年 / 1894年 | 學校、病院、工場等 | 現存せず | 学制改革や統廃合により廃校・解体された可能性が高い。 |
| 第五組小学校 | 第五組小学校 | 京都市 | 京都府京都市 | 明治30年 / 1897年 | 學校、病院、工場等 | 現存せず | 学制改革や統廃合により廃校・解体された可能性が高い。 |
| 野口醫院 | 野口医院 | 東京市芝區 | 東京都港区 | 大正14年 / 1925年 | 學校、病院、工場等 | 未着工 | 病院は現存せず、建物も残っていない。 |
| 田村病院 | 田村病院 | 東京市深川區 | 東京都江東区 | 昭和2年 / 1927年 | 學校、病院、工場等 | 現存せず | 詳細不明。 |
| 計良齒科醫院 | 計良歯科医院 | 東京市外大崎町 | 東京都品川区大崎 | 昭和3年 / 1928年 | 學校、病院、工場等 | 未着工 | 計画段階で中止、実現せず。 |
| 五箇神󠄀社󠄁拜殿及び廻廊 | 五箇神社拝殿及び回廊 | 滋賀縣神崎郡 | 滋賀県東近江市(旧神崎郡内) | 明治14年 / 1881年 | 住宅及その他附属等 | 現存 | 滋賀県東近江市の五箇神社の一部。 |
| 官幣大社󠄁平安神󠄀宮蒼龍白虎樓及應天門 | 官幣大社 平安神宮蒼龍白虎楼及び応天門 | 京都市 | 京都府京都市 | 明治26年 / 1893年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存 | 平安神宮の楼閣・応天門。(国指定重要文化財)伊東忠太氏のもとで、仕事(研究や設計業務)を行った。 |
| 官幣大社󠄁 北野神󠄀社󠄁 樓門及格連子塀 | 官幣大社 北野神社 楼門及び格連子塀 | 京都市 | 京都府京都市 | 明治28年 / 1895年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存 | 北野天満宮(旧称:北野神社)社殿のうち、本殿・石の間・拝殿・楽の間は国宝。佐々木氏は、この社殿の改修・設計に深く関わった。 |
| 大城神󠄀社󠄁 | 大城神社 | 滋賀縣神崎郡 | 滋賀県東近江市(旧神崎郡内) | 明治31年 / 1898年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存不明 | 詳細不明。 |
| 別格官幣社昭國神󠄀社󠄁造營 | 別格官幣社照国神社神社造営 | 鹿兒島市 | 鹿児島県鹿児島市 | 明治33年 / 1900年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存(改称) | 照国神社(鹿児島市、旧社格:別格官幣社)として現存。佐々木氏の関与は、明治15年(1882年)復興後の再建や修繕工事の一部と推定されます。内務省からの特定の業務や役職を正式に依頼・任命された。 |
| 官幣大社宮崎神宮造營 | 官幣大社 宮崎神宮造営 | 宮崎縣大宮村 | 宮崎県宮崎市(大宮地区) | 明治35年 / 1902年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存 | 宮崎神宮 |
| 侯爵山縣元帥邸内明治天皇鎮守社󠄁 | 侯爵山県元帥邸内明治天皇鎮守社 | 神奈川縣小田原町 | 神奈川県小田原市 | 大正2年 / 1913年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存 | 小田原の古稀庵にあったが、関東大震災で損壊後、栃木県矢板市の山縣有朋記念館に移築され、槇ヶ岡神社として現存。 |
| 男爵盆田孝氏邸内明治天皇鎮守社󠄁 | 男爵盆田孝氏邸内明治天皇鎮守社 | 神奈川縣小田原町 | 神奈川県小田原市 | 大正3年 / 1914年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存不明 | 詳細不明。 |
| 官幣大社朝鮮神宮造營 | 官幣大社 朝鮮神宮造営 | 朝鮮 | 現在は韓国または北朝鮮 | 大正8年 / 1919年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存せず | 終戦後に取り壊されました。伊藤忠太氏より正式に依頼。 |
| 別格官幣社上杉神󠄀社󠄁造營 | 別格官幣社 上杉神社造営 | 山形縣米澤市 | 山形県米沢市 | 大正8年 / 1919年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存 | 上杉神社(山形県米沢市)。伊東忠太氏より正式に依頼。 |
| 松陰神󠄀社󠄁 | 松陰神社 | 東京市世田谷區 | 東京都世田谷区 | 大正9年 / 1920年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存 | 京都世田谷区に現存する松陰神社の造営・改修に関与 |
| 三井家顕名靈社󠄁 | 三井家顕名霊社 | 京都市 | 京都府京都市 | 大正10年 / 1921年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存(遷座) | 三井家の京都別邸にあり、後に東京都墨田区の三囲神社内に移され現存。 |
| 縣社󠄁若宮八幡社󠄁々務所 | 県社 若宮八幡社社務所 | 名古屋市中區 | 愛知県名古屋市中区 | 大正12年 / 1923年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存 | 若宮八幡社(名古屋)の社務所。 |
| 府社󠄁富岡八幡神󠄀社󠄁々殿 | 府社富岡八幡神宮社殿 | 東京市深川區 | 東京都江東区 | 大正15年 / 1926年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存 | 富岡八幡宮(東京都江東区)の社殿。 |
| 鹿島神󠄀社󠄁々殿 | 鹿島神社社殿 | 東京市外大井町 | 東京都品川区(大井地区) | 昭和3年 / 1928年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存 | 大井鹿嶋神社 昭和初期に造営された檜造りの社殿(現在の本殿・拝殿)が、戦火を免れて現存。 |
| 富岡八幡神󠄀社󠄁一及三ノ鳥居、玉垣 | 富岡八幡神社一及び三ノ鳥居、玉垣 | 東京市深川區 | 東京都江東区 | 昭和4年 / 1929年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存 | 富岡八幡宮の鳥居・玉垣。 |
| 富岡八幡神󠄀社󠄁神󠄀札所 | 富岡八幡神社神札所 | 東京市深川區 | 東京都江東区 | 昭和4年 / 1929年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存 | 富岡八幡宮の神札所。 |
| 居木神󠄀社󠄁々殿 | 居木神社社殿 | 東京市大崎町 | 東京都品川区(大崎地区) | 昭和4年 / 1929年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存 | 居木神社の社殿。 |
| 縣社󠄁若宮八幡社󠄁奉齋殿 | 県社 若宮八幡社奉斎殿 | 名古屋市中區 | 愛知県名古屋市中区 | 昭和6年 / 1931年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存 | 若宮八幡社の奉斎殿。 |
| 府社󠄁富岡八幡神󠄀社󠄁社󠄁務所及儀式殿 | 府社富岡八幡神社社務所及び儀式殿 | 東京市深川區 | 東京都江東区 | 昭和6年 / 1931年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存 | 富岡八幡宮の社務所・儀式殿。 |
| 純子稻荷造營 | 純子稲荷造営 | 東京市日本橋區 | 東京都中央区 | 昭和6年 / 1931年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存不明 | 詳細不明。 |
| 大本山大谷派本願寺本堂 | 大本山 大谷派本願寺本堂 | 京都市 | 京都府京都市 | 明治10年 / 1877年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存 | 東本願寺の本堂。棟梁 木子棟斎氏に対し、追加の依頼(加談)が命じられた。 |
| 宮荘村葬儀所 | 宮荘村葬儀所 | 滋賀縣神崎郡 | 滋賀県東近江市(旧神崎郡内行) | 明治10年 / 1877年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存不明 | 詳細不明。 |
| 高臺寺内圓徳院三面大國天堂 | 高台寺内円徳院三面大国天堂 | 京都市東山 | 京都府京都市東山区 | 明治14年 / 1881年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存 | 高台寺 円徳院(京都市)内に現存。 |
| 來迎寺客殿 | 来迎寺客殿 | 京都市上京區 | 京都府京都市上京区 | 明治19年 / 1886年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存 | 来迎寺の客殿。 |
| 大日堂改築工事 | 大日堂改築工事 | 滋賀縣神崎郡 | 滋賀県東近江市(旧神崎郡内) | 明治20年 / 1887年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存不明 | 詳細不明。 |
| 圓福寺蛸薬師堂 | 円福寺蛸薬師堂 | 京都市京極 | 京都府京都市(京極周辺) | 明治22年 / 1889年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存せず | 火災によって焼失しており、現存していない。 |
| 明善寺本堂 | 明善寺本堂 | 愛知縣中島郡 | 愛知県一宮市周辺(旧中島郡内) | 明治25年 / 1892年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存不明 | 詳細不明。 |
| 大本山大谷派本願寺玄関 | 大本山 大谷派本願寺玄関 | 京都市 | 京都府京都市 | 明治26年 / 1893年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存 | 東本願寺などの玄関。 |
| 大泉寺本堂 | 大泉寺本堂 | 京都市 | 京都府京都市 | 明治29年 / 1896年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存不明 | 詳細不明。 |
| 豊國廟唐門及手水舎 | 豊国廟唐門及び手水舎 | 京都市阿彌陀ヶ峯 | 京都府京都市東山区(阿弥陀ヶ峯周辺) | 明治29年 / 1896年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存 | 豊国廟(京都市)の唐門・手水舎。 |
| 妙壽寺本堂 | 妙寿寺本堂 | 大分縣西國東郡 | 大分県豊後高田市 | 明治31年 / 1898年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存 | 妙寿寺の本堂(国登録有形文化財) |
| 大龍寺大師堂 | 大竜寺大師堂 | 東京市外田端 | 東京都北区田端 | 明治40年 / 1907年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存不明 | 詳細不明。 |
| 大本山大谷派本願寺本堂門 | 大本山 大谷派本願寺本堂門 | 京都市 | 京都府京都市 | 明治43年 / 1910年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存 | 東本願寺などの本堂門。 |
| 大谷派本願寺金澤別院 | 大谷派本願寺金沢別院 | 金澤市 | 石川県金沢市 | 明治45年 / 1912年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存せず | 真宗大谷派金沢別院。 |
| 大本山増上寺大殿 | 大本山 増上寺大殿 | 東京市芝區 | 東京都港区 | 大正2年 / 1913年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存せず | 第二次世界大戦の空襲により焼失。伊東忠太氏が顧問に就任し、主任設計技師に任命された。 |
| 檀林願寺移轉再建 | 檀林願寺移転再建 | 東京府多摩村 | 東京都府中市周辺(旧多摩村内) | 大正14年 / 1925年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存不明 | 詳細不明。 |
| 來迎寺向拜增設 | 来迎寺向拝増設 | 京都市 | 京都府京都市 | 大正15年 / 1926年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存不明 | 詳細不明。 |
| 大本山圓學寺大方丈書院庫裡 | 大本山 円覚寺大方丈書院庫裏 | 神奈川縣鎌倉 | 神奈川県鎌倉市 | 大正15年 / 1926年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存 | 円覚寺(神奈川県鎌倉市)の大方丈など。(重要文化財) |
| 藏光院本堂 | 蔵光院本堂 | 秋田縣沼館町 | 秋田県秋田市(旧沼館町周辺部) | 昭和3年 / 1928年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存不明 | 詳細不明。 |
| 淺草東本願寺 | 浅草東本願寺 | 東京市淺草區 | 東京都台東区 | 昭和3年 / 1928年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存 | 鉄骨鉄筋コンクリート造りの計画案は基本設計までは終えていたが、昭和7年(1932年)の時点ではまだ工事に着手していなかった。その後、昭和14年(1939年)に竣工。 第二次世界大戦の空襲で内部は全焼したが、鉄筋コンクリートの外郭は残存し、修復を経て現存している。 |
| 大谷派善行寺本堂 | 大谷派善行寺本堂 | 新潟縣 | 新潟県 | 昭和4年 / 1929年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存不明 | 内藤多忠氏から正式に依頼。鉄骨鉄筋コンクリート造り。 |
| 本門佛立財團本部本堂 | 本門仏立財団本部本堂 | 京都市 | 京都府京都市 | 昭和5年 / 1930年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存 | 本門仏立宗本部本堂。 |
| 正覺寺本堂 | 正覚寺本堂 | 東京市深川區 | 東京都江東区 | 昭和5年 / 1930年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存不明 | 詳細不明。 |
| 内藤家位牌堂 | 内藤家位牌堂 | 九州 | (特定されず) | 昭和6年 / 1931年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存不明 | 鉄骨鉄筋コンクリート造り。 |
| 京都嵐山法輪寺多寶塔 | 京都嵐山法輪寺多宝塔 | 京都市 | 京都府京都市西京区嵐山 | 昭和8年 / 1933年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存 | 佐々木岩次郎氏が晩年に手がけた代表作の一つ。 |
| 住友家菩提寺淸涼寺経蔵内経納堂 | 住友家書庫提携清涼寺経蔵内経納堂 | 京都市嵯峨 | 京都府京都市右京区嵯峨 | 昭和8年 / 1933年 | 神󠄀社󠄁及佛寺 | 現存不明 | 詳細不明。 |
| 藤井善助氏邸佛間及客室 | 藤井善助氏邸仏間及び客室 | 滋賀縣神崎郡 | 滋賀県東近江市(旧神崎郡内) | 明治12年 / 1879年 | 住宅及その他附属等 | 現存不明 | 詳細不明。 |
| 竹中忠藏氏邸客座敷其他 | 竹中忠蔵氏邸客座敷その他 | 滋賀縣神崎郡 | 滋賀県東近江市(旧神崎郡内) | 明治15年 / 1882年 | 住宅及その他附属等 | 現存不明 | 詳細不明。 |
| 醫学博士入澤達吉氏邸 | 医学博士入沢達吉氏邸 | 東京市本郷區 | 東京都文京区 | 明治39年 / 1906年 | 住宅及その他附属等 | 現存せず | 関東大震災で火災に巻き込まれて焼失。伊藤忠太氏から正式に依頼。 |
| 八木淸八氏別邸 | 八木清八氏別邸 | 京都市 | 京都府京都市 | 大正4年 / 1915年 | 住宅及その他附属等 | 現存不明 | 詳細不明。 |
| 竹田宮家御靈室 | 竹田宮家御霊室 | 東京市芝區 | 東京都港区 | 大正6年 / 1917年 | 住宅及その他附属等 | 現存不明 | 詳細不明。 |
| 山内政詮氏邸 | 山内政詮氏邸 | 東京市外中野 | 東京都中野区 | 大正7年 / 1918年 | 住宅及その他附属等 | 現存不明 | 詳細不明。 |
| 男爵三井八郎右衛門氏新館 | 男爵三井八郎衛門氏新館 | 東京市麻布區 | 東京都港区 | 大正9年 / 1920年 | 住宅及その他附属等 | 現存(移築) | 江戸東京たてもの園に移築・復元。(重要文化財) |
| シャム皇居内日本住宅 | シャム皇居内日本住宅 | シャム皇庭内 | タイ王国 バンコク(王宮敷地内) | 大正12年 / 1923年 | 住宅及その他附属等 | 現存不明 | タイ王宮内にあった日本式住宅。外務省から正式に依頼。伊藤忠太氏の指導・指揮のもとで製作・建設された。 |
| 梶平治氏邸 | 梶平治氏邸 | 東京市外巣鴨 | 東京都豊島区(巣鴨地区) | 大正12年 / 1923年 | 住宅及その他附属等 | 現存不明 | 詳細不明。 |
| 侯爵前田利爲氏邸日本館 | 侯爵前田利為氏邸日本館 | 東京市外駒場 | 東京都目黒区(駒場地区) | 昭和2年 / 1927年 | 住宅及その他附属等 | 現存(移築) | 旧前田家本邸の和館。(国指定重要文化財)塚本靖氏の推薦により設計を担当。 |
| 侯爵前田利爲家日本館正門及塀 | 侯爵前田利為家日本館正門及び塀 | 東京市外駒場 | 東京都目黒区(駒場地区) | 昭和4年 / 1929年 | 住宅及その他附属等 | 現存(移築) | 旧前田家本邸の門・塀。(国指定重要文化財) |
| 望月文吾氏邸 | 望月文吾氏邸 | 東京市外杉並町 | 東京都杉並区 | 昭和5年 / 1930年 | 住宅及その他附属等 | 現存不明 | 詳細不明。 |
| 小谷武雄氏邸 | 小谷武雄氏邸 | 東京市外西大久保 | 東京都新宿区(西大久保地区) | 昭和6年 / 1931年 | 住宅及その他附属等 | 現存不明 | 詳細不明。 |
| 千葉恒次郎氏新館 | 千葉恒次郎氏新館 | 東京市赤坂區 | 東京都港区 | 昭和6年 / 1931年 | 住宅及その他附属等 | 現存不明 | 詳細不明。 |
| 杵屋榮藏氏邸 | 杵屋栄蔵氏邸 | 東京市麹町區 | 東京都千代田区 | 昭和7年 / 1932年 | 住宅及その他附属等 | 現存不明 | 蔵は鉄筋コンクリート造り。 |
| 好井雅常氏邸 | 好井雅常氏邸 | 東京市外西大久保 | 東京都新宿区(西大久保地区) | 昭和7年 / 1932年 | 住宅及その他附属等 | 現存不明 | 詳細不明。 |
| 淺野長太郎氏邸四脚門唐門塀 | 浅野長太郎氏邸四脚門唐門塀 | 富山縣婦負郡 | 富山県富山市周辺(旧婦負郡内) | 明治29年 / 1896年 | 住宅及その他附属等 | 現存不明 | 詳細不明。 |
| 神戸オリエンタルホテル屋上食堂 | 神戸オリエンタルホテル屋上食堂 | 神戸市 | 兵庫県神戸市 | 大正7年 / 1918年 | 住宅及その他附属等 | 未着工 | 計画やデザインは完了したものの、最終的に建設(工事の実施)には至らなかった。 |
| 大場家住宅 玄関改装 | 大場家住宅 玄関改装 | 東京市世田谷區 | 東京都世田谷区世田谷 | 大正12年 / 1923年 | 住宅及その他附属等 | 現存せず | 重要文化財大場家住宅の玄関の改装。世田谷代官屋敷[8] |
| 男爵三井八郎右衛門氏邸山門及廻廊 | 男爵三井八郎衛門氏邸山門及び回廊 | 東京市麻布區 | 東京都港区 | 大正8年 / 1919年 | 住宅及その他附属等 | 現存せず | 第二次世界大戦の空襲により焼失。江戸東京たてもの園に移築・復元された邸宅の一部。 |
| 男爵三井八郎右衛門氏邸腕木門及築地 | 男爵三井八郎衛門氏邸腕木門及び築地 | 東京市麻布區 | 東京都港区 | 大正14年 / 1925年 | 住宅及その他附属等 | 現存せず | 第二次世界大戦の空襲により焼失。江戸東京たてもの園に移築・復元された邸宅の一部。 |
| 侯爵井上邸内八窓庵實測 | 侯爵井上邸内八窓庵実測 | 東京市麻布區 | 東京都港区 | 大正15年 / 1925年 | 住宅及その他附属等 | 現存(移築・実測図) | 茶室「八窓庵」は滋賀県に移築され現存。佐々木氏の仕事は実測(調査)。(重要文化財) |
| 男爵三井八郎右衛門氏邸内四阿新築 | 男爵三井八郎衛門氏邸内四阿新築 | 東京市麻布區 | 東京都港区 | 大正14年 / 1926年 | 住宅及その他附属等 | 現存(移築) | 江戸東京たてもの園に移築・復元された邸宅の一部。(重要文化財) |
| 鶴見臨港鐵道計畵總持寺表門 | 鶴見臨港鉄道計画総持寺表門 | 神奈川縣鶴見 | 神奈川県横浜市鶴見 | 昭和3年 / 1928年 | 住宅及その他附属等 | 未着工 | 鉄筋コンクリート造りにて計画やデザインは完了したものの、最終的に建設(工事の実施)には至らなかった。 |
| 目黒驛前巡査派出所 | 目黒駅前巡査派出所 | 東京市大崎町 | 東京都品川区(大崎地区) | 昭和4年 / 1929年 | 住宅及その他附属等 | 現存せず | 鉄筋コンクリート造り。建て替えにより当時の建物は現存しない可能性が高い。 |
| 北米航路優秀船秩父丸日本座敷 | 北米航路優秀船秩父丸日本座敷 | 郵船秩父丸内 | 船内(太平洋・北米航路) | 昭和4年 / 1929年 | 住宅及その他附属等 | 現存せず | 船(秩父丸)自体が第二次世界大戦で徴用され沈没。 |
| 淺野ビルディング | 浅野ビルディング | 東京市日本橋區 | 東京都中央区 | 昭和4年 / 1929年 | 住宅及その他附属等 | 未着工 | 総8階建の鉄骨鉄筋コンクリート造り。意匠設計の依頼を受けたが、工事の実施には至らなかった。 |
| 男爵三井八郎右衛門氏邸内瀧見亭 | 男爵三井八郎衛門氏邸内滝見亭 | 東京市麻布區 | 東京都港区 | 昭和6年 / 1931年 | 住宅及その他附属等 | 現存せず | 立式茶席。 第二次世界大戦の空襲により焼失。 |
| 男爵三井八郎右衛門氏邸内扇亭 | 男爵三井八郎衛門氏邸内扇亭 | 東京市麻布區 | 東京都港区 | 昭和7年 / 1932年 | 住宅及その他附属等 | 現存せず | 第二次世界大戦の空襲により焼失。江戸東京たてもの園に移築・復元された邸宅の一部。 |
※ 本表は、佐々木岩次郎氏の業務経歴書(佐々木建築事務所)[9] および略歴(「日本建築士」昭和12年4月刊行第20巻第4号掲載[3])の情報を基に、現代の調査結果(現況、所在地など)を加えて再構成したものである。
※ 写真は、佐々木岩次郎氏の業務経歴書(佐々木建築事務所)[9]から抜粋したものである。