若宮八幡社 (名古屋市中区)

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所在地 愛知県名古屋市中区3丁目35-30
位置 北緯35度9分48.5秒 東経136度54分12.4秒 / 北緯35.163472度 東経136.903444度 / 35.163472; 136.903444座標: 北緯35度9分48.5秒 東経136度54分12.4秒 / 北緯35.163472度 東経136.903444度 / 35.163472; 136.903444
若宮八幡社

拝殿
所在地 愛知県名古屋市中区3丁目35-30
位置 北緯35度9分48.5秒 東経136度54分12.4秒 / 北緯35.163472度 東経136.903444度 / 35.163472; 136.903444座標: 北緯35度9分48.5秒 東経136度54分12.4秒 / 北緯35.163472度 東経136.903444度 / 35.163472; 136.903444
主祭神 仁徳天皇
応神天皇
武内宿禰
社格 式内社論社
県社
別表神社
創建 (伝)8世紀初頭
本殿の様式 流造
別名 若宮八幡宮
若宮
例祭 5月16日
主な神事 若宮まつり(5月15・16日)
地図
若宮八幡社の位置(名古屋市内)
若宮八幡社
若宮八幡社
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若宮八幡社(わかみやはちまんしゃ)は、愛知県名古屋市中区にある神社

延喜式神名帳』の尾張国愛智郡「孫若御子神社」を当社に比定する説がある。

旧社格県社で、現在は神社本庁別表神社。名古屋総鎮守とされる。名古屋市街を東西に貫く100m道路である「若宮大通」の名は、この若宮八幡社から採っている。「若宮八幡宮」とも呼ばれる。

歴史

天武天皇の時代もしくは大宝年間に那古野庄今市場(現・名古屋城三の丸)に創建されたと伝わり、延喜年間に再興されたという。かつては天王社那古野神社)に隣接していた。天文元年(1532年)3月11日、織田信秀那古野城を攻めた時の合戦で社殿を焼失したが、天文8年(1539年)にその織田信秀により再建された。安土桃山時代には豊臣秀吉より200を寄進されている。慶長15年(1610年)、徳川家康によって名古屋城が築城された際に現在地に遷座する。

江戸時代尾張徳川家氏神となり、名古屋の総鎮守となって崇敬され、寛文4年(1664年)に尾張藩第2代藩主徳川光友によって社殿の造営が行われた。この時、当社の社僧は全て廃されている。元禄2年(1689年)1月には光友より社領100石が寄せられた。

1877年明治10年)3月14日、県社に昇格する。太平洋戦争中の1945年昭和20年)3月19日、名古屋大空襲により社殿が焼失するが、1957年(昭和32年)復興する。1971年(昭和46年)7月1日に神社本庁別表神社に加列されている。

江戸中期の学者である天野信景は『延喜式神名帳』の愛智郡「孫若御子神社」は当社ではないかとする説を提唱している。熱田神宮境内摂社として存在する孫若御子神社が式内社「孫若御子神社」とする説もあるが、天野によれば熱田神宮を描いた古図には境内に孫若御子神社が描かれておらず、熱田神宮境内の孫若御子神社は後世に建てられた拝礼所ではないかとしている。また、平安末期成立の『尾張国内神名帳』では愛智郡条の前半部分に熱田神宮境内社がまとまって記述されているが、「孫若御子天神」はその中に入っておらず、熱田神宮境外の神社とともに記述されている。

祭神

境内

文化財

名古屋市指定有形民俗文化財

  • 若宮祭りの山車行事と福禄寿車(若宮八幡社福禄寿車山車保存会)

祭祀

祭事暦
1月1日歳旦祭(奉賛会祈願祭)
2月8日神御衣社祭(針供養まつり)
17日祈年祭
旧初午の日連理稲荷社祭(旧初午まつり)
5月15日試楽祭
16日例祭・御神幸(若宮まつり)
7月25日末社合同祭(夏まつり)
9月15日長寿祭
10月20日恵美須社祭(恵美須まつり)
11月1日龍神社祭
23日新嘗祭

例祭

江戸時代では、例祭である若宮祭は名古屋東照宮の東照宮祭、天王社(那古野神社)の天王祭とならんで名古屋三大祭とされ、特に天王祭とは同日であったことから祇園祭と総称された(現在は別の日)。山車7両が神輿と共に名古屋城三の丸の天王社との間を往復し、名古屋城下の目抜き通りであった現在の本町通を練り歩いた。

現在の若宮まつりでは、今も残る山車1両(福禄寿車)と神輿が、那古野神社との間を往復する。福禄寿車は名古屋市指定有形民俗文化財となっている[3]

交通

参考文献

関連項目

脚注

外部リンク

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