佐々木直前 From Wikipedia, the free encyclopedia 佐々木 直前(ささき なおまえ、1842年 - 大正5年(1916年)11月13日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍工兵大佐。紀州藩(和歌山県)出身。慶應義塾出身の士官として、明治時代の陸軍省および砲兵工廠に勤務した。 紀州藩の藩士として生まれる。 明治4年(1871年)頃、洋行を志した同藩の後輩松島剛を憐れみ、学資を補助したと伝えられる[1]。 明治5年(1872年)に陸軍大尉に任じられ、明治6年(1873年)8月26日、陸軍少佐。明治13年(1880年)には陸軍工兵中佐に進み、従六位・勲五等を授与された。明治19年(1886年)に勲四等旭日小綬章を受章し、明治25年(1892年)3月11日に正五位に叙せられた。 明治15年の慶應義塾医学所入学者の一人としても記録がある[1]。 名古屋城・姫路城保存への関与 明治初期、名古屋城および姫路城は廃棄の対象とされていたが、明治12年(1879年)1月29日、陸軍省第4局長代理中村重遠とともに保存を上申し、両城の存続が決定された。 この時、陸軍省第4局長代理として署名したのが佐々木直前であり、彼は城郭維持費の太政官上申も行っている[2]。 晩年 明治25年(1892年)には大阪砲兵工廠に勤務し、陸軍工兵大佐となる。大正5年(1916年)11月13日、73歳で没した[3]。 妻は興子。没時の官位は退役陸軍工兵大佐・正五位・勲三等。 脚注 1 2 赤堀三男 1894, p. 76. ↑ 名古屋郷土文化会 1973, p. 39. ↑ 民友社 1916, p. 696. 参考文献 『慶應義塾塾員履歴集』赤堀三男、1894年、76頁。 『郷土文化28(1)(107)』名古屋郷土文化会、1973年、39頁。 『国民年鑑(大正6年版)』民友社、1916年、696頁。 軍職 先代堀場精一郎 工兵第1方面提理1890年 - 1892年 次代古川宣誉 先代村井寛温 工兵第2方面提理1887年 - 1890年 次代勝田四方蔵 先代(新設) 東京湾陸軍臨時建築署長1882年 - 1885年陸軍臨時建築署長1882年 次代村井寛温 Related Articles