佐々木達三
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1906年(明治39年)に東京で生まれる。楽器の製作にあこがれ、東京高等工芸学校(千葉大学の前身)の木材工芸科に入学。1927年(昭和2年)に同校を卒業、横浜船渠(1935年(昭和10年)に三菱重工業に吸収合併)に入社する。同社では学生時代に得た木材の知識を活かしインテリアデザイナーとして活動。敗戦により三菱重工業が解体されることとなり、1946年(昭和21年)に同社を退職し、フリーランスのデザイナーとなる[1]。
戦後は、1948年(昭和23年)から1958年(昭和33年)にかけて石川島造船所(現在のIHI)の技術指導・インテリアデザインに携わったのをはじめ[1]、建築室内、船内のデザイン、機械工具、自動車関係、生活用具のデザインに従事する[2]。1956年には富士重工業より新規開発の軽自動車(スバル360)のデザインを依頼される[1]。1972年(昭和47年)からは生涯にわたってリハビリテーション施設及び用具のデザインに携わる[1]。
1952年(昭和27年)設立された日本インダストリアルデザイナー協会 (JIDA) の初代理事長を5期務め、1975年(昭和50年)には名誉理事となる[1]。また、デザイナーとしての仕事の一方で1959年(昭和34年)から1977年(昭和52年)まで武蔵野美術大学造形学部工芸工業デザイン学科教授を務め、多くの後進者を育てた[2]。
仕事


主なデザイン
- 日枝丸 インテリア[2]
- カズラ草文上下自在フロアスタンド(1940年)※紀元2600年奉祝美術展覧会出展)[1]
- さんぺとろ丸 食堂壁面レリーフ(1950年)[1]
- 富士産業 (現・SUBARU)ラビットスクーター(1950年)[1]
- 学校給食用コップ(1953年)[1]
- コンデンサーモーター(1953年頃)[1]
- 西日本鉄道 観光バス[3]
- 富士重工業(現・SUBARU)
- 曲木組立式椅子(1960年頃)[1]
- さくら丸 (見本市船) 第6次ディスプレイ(1965年)[1]
- 日本電信電話公社 赤電話機・ピンク電話機デザイン(1970年)[1]
主な研究
著書
- 『木材工芸叢書 7 寝室家具』(1936年、洪洋社)