さくら丸 (見本市船)
From Wikipedia, the free encyclopedia
| さくら丸 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 船種 | 貨客船 |
| 船籍 |
|
| 所有者 |
日本産業巡航見本市協会[1](1962-1971) 大島運輸(1972-1981) |
| 運用者 |
日本産業巡航見本市協会(1962-1971) 大阪商船(1962-1963) 日本移住船/商船三井客船(1963-1971) 大島運輸(1972-1981) |
| 建造所 | 新三菱重工業神戸造船所 |
| 母港 | 東京 |
| 姉妹船 | なし |
| 建造費 | 約22億4208万円[1] |
| 航行区域 | 国際遠洋 |
| 船級 | NK |
| 改名 |
さくら(1972-1981) 紫羅蘭(1983) |
| 経歴 | |
| 発注 | 1961年10月31日[1] |
| 起工 | 1962年2月1日[2][1] |
| 進水 | 1962年6月22日[2][1] |
| 竣工 | 1962年11月4日[2][1] |
| 就航 | 1962年11月5日[2] |
| 引退 |
1971年(日本産業巡航見本市協会) 1982年(大島運輸) |
| その後 | 1982年に中国へ売却 |
| 現況 | 解体 |
| 要目 (竣工時) | |
| 総トン数 | 12,628トン[2] |
| 載貨重量 |
5,801トン(見本市船時) 10,626トン(移民船時最大)[2] |
| 全長 | 157.0 m[2][3] |
| 垂線間長 | 145.0 m[2] |
| 幅 | 21.0 m[2][3] |
| 深さ | 11.9 m[2][3] |
| 満載喫水 |
6.60m(見本市船時) 8.60m(移民船時最大)[2] |
| 機関方式 | ディーゼル[2] |
| 主機関 | 三菱長崎7UEC 75/150×1基[2] |
| 最大出力 | 9,800 PS[2][3][1] |
| 定格出力 | 8,300 PS[1] |
| 最大速力 | 20.19ノット[2][3] |
| 航海速力 |
17.9ノット(見本市船時) 17.1ノット(移民船時最大)[2] |
| 航続距離 |
17,700海里(見本市船時) 16,900海里(移民船往行時) 16,700海里(移民船復行時)[1] |
| 旅客定員 |
152名(見本市船時) 952名(移民船時最大)[2] |
| 乗組員 |
76名(見本市船時) 114名(移民船時)[1] |
日本製品の輸出振興を目的とした「日本産業巡航見本市協会」の見本市専用船として1962年に竣工[2]。1956年から1961年にかけて3次に分けて行われた巡航見本市は「日昌丸」など在来の貨客船や貨物船を用船して行われ好評を得ていたが、改装の技術的限度・改装復旧に伴う無駄な労力・用船による巡航計画の立てにくさ・旅客設備の少なさといった不便が生じ[2]、1959年6月から日本産業巡航見本市委員会内の改装専門委員会と傭船専門委員会にて専用船計画が検討され1960年7月に建造計画書を策定[1]。
日本産業巡航見本市協会の支出金6億円と、輸入自動車差益金から拠出された補助金16億5000万円の計22億5千万円の建造予算をもとに、1962年に建造[1]、船名は公募の上で「さくら丸」「日本丸」「富士丸」の3種が最終候補として挙げられ、1962年3月の理事会にて「さくら丸」に決定された[1]。
1962年11月12日から翌年3月6日にかけ行われた中近東・アフリカ方面への巡航見本市船第4次巡航から就航[2][3]。見本市期間以外は大阪商船(1964年からは大阪商船三井船舶)のチャーターにより北米・南米航路で運航し[3]、移民用に仮設ベッドを取り付けて合計952名を収容することも可能となっていた。
「新さくら丸」の就航に伴い、1970年10月から翌年3月にかけての東南アジア・オーストラリア方面への巡航見本市船第9次巡航を最後に引退し、1971年12月に三菱商事に売却が確定[1]。その後大島海運に売却され「さくら」の船名で東京 - 沖縄航路やチャータークルーズに用いられ、1983年には中国の広州公司に売却され「紫羅蘭」に改名、広州-上海航路で運航されたのち2002年頃に引退した[3]。