佐久奈度神社

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所在地 滋賀県大津市大石中1丁目2-1
位置 北緯34度54分41.4秒 東経135度54分45.7秒 / 北緯34.911500度 東経135.912694度 / 34.911500; 135.912694座標: 北緯34度54分41.4秒 東経135度54分45.7秒 / 北緯34.911500度 東経135.912694度 / 34.911500; 135.912694
主祭神 瀬織津姫命
速秋津姫命
気吹戸主命
速佐須良姫命
佐久奈度神社
佐久奈度神社
拝殿
所在地 滋賀県大津市大石中1丁目2-1
位置 北緯34度54分41.4秒 東経135度54分45.7秒 / 北緯34.911500度 東経135.912694度 / 34.911500; 135.912694座標: 北緯34度54分41.4秒 東経135度54分45.7秒 / 北緯34.911500度 東経135.912694度 / 34.911500; 135.912694
主祭神 瀬織津姫命
速秋津姫命
気吹戸主命
速佐須良姫命
社格 式内社名神大
県社
創建 伝・天智天皇8年(669年
本殿の様式 三間社流造
例祭 4月16日
主な神事 御手洗祭(7月31日
地図
佐久奈度神社の位置(滋賀県内)
佐久奈度神社
佐久奈度
神社
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佐久奈度神社(さくなどじんじゃ)は、滋賀県大津市大石中町に鎮座する神社である。式内社名神大社)で、旧社格県社。神紋は心櫻十六菊。

祓戸大神と総称される以下の4柱を祀る。祓い浄めを始め、武運長久・家内安全の神徳を有すとされる。

歴史

社伝によると、朝廷が飛鳥より近江大津宮に移ったのを期に[1]天智天皇8年(669年)に天皇勅願によって中臣金が祓戸の神3柱(現在は4柱)をこの地に祀ったのが当社の始まりであるとされている[2][3]。以来、平安京を守護する七瀬の祓い所の一つとして重んぜられ、仁寿元年(851年)に名神に列し[4][2][1]貞観元年(859年)に従五位上の神階を賜ると[5][2]、名神大社として式内社に定められるなど当地方の名社であった[2]

また、古来より伊勢神宮に参拝するにはまず当社で禊ぎをするのが習わしとされ、当地「大石」の語源も忌伊勢 (おいせ、伊勢詣での祓所の意)が訛ったものとされている。神道における最高祝詞である「大祓詞」(おおはらえのことば)のもとである「中臣大祓詞」は当社が創始地であるとされている[1]

以来、朝野の崇敬は厚く後白河上皇より社領が寄進されている[2]

安土桃山時代には豊臣氏の家臣渡辺勘左衛門から、また江戸時代には膳所藩本多康俊、次いで藩主となった石川忠総などからも社領が寄進 され[2]、「天下の祓所」としてその名をはせたという[1]

この地は大石氏の苗字の地であることもあり、大石良勝大石良雄の曽祖父)より武運長久・息災延命を祈願し奉納された絵馬「板絵著色武者騎馬像」(大津市指定有形文化財)が残されている[6][2]

1876年明治9年)10月に村社に列格し、1908年(明治41年)には神饌幣帛料供進社の指定を受け、1921年大正10年)5月には県社に昇格している[2][1][3]

1964年昭和39年)に天ケ瀬ダムの建設に伴い今よりも東寄りの低地にあった旧境内地が水没地となるため、現在地に移設された[6][2]

「さくなど」という名は、さくなだり(急所)に由来する「ともくなど」の神(境の神)にちなんでいるといわれる。人々は、瀬田川の激流があらゆる罪やけがれを乗せて流し去ってくれる場所として考えていたようである[7]

境内

  • 本殿
  • 幣殿
  • 拝殿
  • 社務所
  • 御旅所 - 境内から約500メートル南にある[2]
    • 社殿(大津市指定有形文化財) - 鎌倉時代からあった旧社殿を建て替える際、その部材を用いて新たに再建されたもの[6][2]

摂末社

文化財

大津市指定有形文化財

  • 佐久奈度神社御旅所社殿
  • 板絵著色武者騎馬像

祭事

  • 4月16日 - 例祭
  • 7月31日 - 御手洗祭

所在地

  • 滋賀県大津市大石中1丁目2-1

アクセス

脚注

参考文献

外部リンク

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