佐久間虎三郎
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1862年(文久2年)時点で年齢は若く、袈裟斬りが得意で剣術の達人であり有馬藩の藩士であった[1]。芝区の歓楽街・桐通で女太夫の藤間照吉ことおてると出会い、虎三郎はおてるに恋心を抱き始めた。それ以降夜になると江戸各地(飯倉、広尾、三河台、赤坂、麻布、芝区)で遊興費目的の辻斬り強盗を行い[2]、奪った金銭はおてるの元へ通うための遊興費または友人の松崎金太郎と松田伊三郎との豪遊代に使用した[3]。虎三郎は茶葉屋で60代の老人が重みのある財布を持っていたのを見かけ、後をつけて出鼻に来たところで老人を袈裟斬りにして殺害し20両餘を強奪した[3][2]。やがて老人の帰りが遅いことに心配した若者二人が提灯を持って老人を探していたところを右肩先から左脇下にかけて切りつけられているところを発見[2]、その後も広尾と六本木の三河台などの江戸各地で辻斬りを犯し、被害者はいずれも袈裟斬りにされており金品が強奪され単独の同一犯による犯行と断定された。やがて虎三郎は一連の辻斬り強盗の犯人と疑われたが、袈裟斬りは自分ではないと否認したが刀に血痕が付いている上に刃毀れしており、捕らえられた後に袈裟斬りを自白した。1年の入獄の末切腹を命じられ、処刑された[3]。