佐伯繁
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DEEP設立
1969年に配管工の父のもと、富山県に生まれる[2]。父が立ち上げた「佐伯設備」に入社[2]。また、兄の影響を受けてパチンコとパチスロに熱中し、月に約100万円ほど収益をあげるようになる[2]。筐体の変化の影響を受けてパチンコでは稼げなくなったことから名古屋のテレビ制作プロダクションのアルバイトを始める[2]。その後、カメラスタジオに就職しカメラマンとして働くようになるが、病を患ったことからスタジオを退職[2]。
22歳で独立し、趣味であった自動車の雑誌や地元の情報誌などでカメラマンとして働く[2]。知人の編集者とともに会社を成長させて行き、雑誌以外にも飲食やファミコンショップも行うようになる[2]。幼少期に初代タイガーマスクに憧れていたことからファンとしてプロレスの興行に足を運び、仕事でもプロレスラーたちと交流を持つようになる[2]。資金力があったことからレスラーや団体を援助するようになり、「タニマチみたいなことをしていた」と話している[2]。
ザ・ロード・ウォリアーズの日本ツアーにおける地方興行の権利、大阪プロレスの旗揚げ2戦目、メキシコ団体の日本大会の一部を購入するなど、プロレス興行にも関わるようになっていく[3]。1995年に東京ドームで開催された『10.9 新日本プロレス対UWFインターナショナル全面戦争』やPRIDEに刺激を受けたことや総合格闘技団体に変わる前のパンクラスにも関わっていたことから、パンクラス代表の船木誠勝に勧められて新団体の設立を計画するようになる[3]。
2001年1月、30歳のころに事業の成功で得た数億円の預金を原資に総合格闘技団体「DEEP」を設立[3]。名称の「DEEP」は当時経営していた会社の名前から命名した[3]。「PRIDEをつぶす」と意気込んでDEEPを運営するも赤字が続き、2003年に12回目の興行が終わった時点で資金が尽きる[3]。ドリームステージエンターテインメントの経営陣からの依頼で、同年にPRIDEが開始した軽量級の選手をメインとするイベント「PRIDE武士道」の立ち上げに関わるようになる[3]。DEEPとPRIDE武士道の両方の運営に関わることでDEEPも立て直し、長南亮をはじめとするDEEP発のスター選手も生まれるようになる[3]。
2006年にフジテレビがPRIDEとの契約を全面解除し、2007年にはPRIDEの興行権を買い取ったアメリカのズッファが日本人スタッフを一斉に解雇したことでPRIDEは事実上消滅[3]。その後「DREAM」や「戦極」などの団体も生まれたが、いずれも短命に終わり日本格闘技界は「冬の時代」に突入する[3]。一方でこの傾向はDEEPにとっては良い方向に働き、DREAMや戦極に出場していた選手たちがDEEPに戻ってきたことで活気づくようになる[3]。
2013年より女子総合格闘技団体「DEEP JEWELS」の運営にも携わり、2014年の大晦日には埼玉スーパーアリーナで『DEEP DREAM IMPACT 2014 〜大晦日SPECIAL〜』を開催[3]。2015年に『DEEP DREAM IMPACT 2014』のドキュメンタリー映画『REVIVALこれが日本の総合格闘技だ』を制作し、監督を務めた[4]。
脚注
- ↑ “インタビュー「この人に聞け!」>佐伯繁”. 格闘技ウェブマガジンGBR. 2026年2月12日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 “格闘技団体「DEEP」創設者・佐伯繁インタビュー”. 現代ビジネス. pp. 1-3 (2025年12月30日). 2026年2月11日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 “佐伯繁DEEP代表インタビュー「RIZINから受けた影響」”. 現代ビジネス (2025年12月30日). 2026年2月12日閲覧。
- ↑ “REVIVAL これが日本の総合格闘技だ あらすじ・内容・スタッフ・キャスト・作品情報”. 映画ナタリー. 2026年2月12日閲覧。
外部リンク
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