佐原光一

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生年月日 (1953-11-10) 1953年11月10日(71歳)
出身校 東京大学工学部航空学科
前職 国土交通省中部地方整備局副局長
佐原 光一
さはら こういち
生年月日 (1953-11-10) 1953年11月10日(71歳)
出生地 日本の旗 日本 愛知県豊橋市
出身校 東京大学工学部航空学科
前職 国土交通省中部地方整備局副局長
所属政党 無所属
称号 旭日中綬章
当選回数 3回
在任期間 2008年11月17日 - 2020年11月16日
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佐原 光一(さはら こういち、1953年昭和28年〉11月10日[1] - )は、日本政治家国土交通官僚愛知県豊橋市長(3期)を歴任した。

生い立ち

佐原光一と阿波人形浄瑠璃平成座座長竹本友幸

愛知県豊橋市出身。豊橋市立栄小学校豊橋市立南部中学校愛知県立時習館高等学校卒業。

1976年(昭和51年)3月、東京大学工学部航空学科卒業。同年4月、運輸省(現・国土交通省港湾局に入省[2]。1986年(昭和61年)、外務省に出向。在ブラジル日本国大使館一等書記官に就任。運輸省第三港湾建設局境港工事事務所長、パナマ共和国海運庁(国際協力事業団(現・国際協力機構(JICA))長期専門家)、国土交通省港湾局環境・技術課長などを務めた。境港工事事務所長時代には、鳥取県境港市水木しげるロードプロジェクトに尽力した。

2007年(平成19年)5月、国土交通省中部地方整備局副局長に就任。

2008年豊橋市長選挙

自民党衆議院議員の山本明彦は港湾関連の勉強会のトップを務めていたときに港湾局課長だった佐原と知り合った。「三河湾の発展に役立つ人物だ」と佐原に目を付け、2007年(平成19年)夏から、佐原の時習館高校の同級生らとともに、翌年の豊橋市長選挙に向けて佐原擁立の動きを本格化させた[3]。佐原は「天下り、道路特定財源など負のイメージが強い国交省官僚が市民に受け入れられるか」と当初迷ったというが、早い段階で決意を山本に伝えた[3]。やがて、元市議会議長の市川健吾が市長選への出馬を表明する[4]

2008年(平成20年)1月8日付で国土交通省を退職。1月9日に日本港湾協会の港湾政策研究所長代理に就任した[4]。2月23日、出馬表明[5][6]。3月に開かれた自民党豊橋市支部の役員会で、同党県議の小久保三夫は「自分も候補者の一人」と意欲を示した。市川、佐原、小久保の3人のうちから一人に絞ることになったが、3月27日、党支部から一任された自民系市議24人は佐原への一本化を決定した。小久保陣営は「こちらの市長選への思いを一切聞いていない。密室政治だ」と反発。3月29日の後援会の会合で小久保が出馬表明する動きにつながった[7]。5月、市川健吾は出馬を断念[7]

民主党は、早川勝市長の多選への懸念から、東海テレビ放送スポーツ事業部長の河合誠に出馬を要請。さらに6月5日、党愛知県第15区総支部長の森本和義らは市役所に出向き、これまで連合愛知から推薦を受けてきた早川に「多選批判もあり推薦できない。党としては新人を擁立したい」との考えを伝えた[8]

同年6月10日、早川は市議会定例会で芳賀裕崇市議からの質問に対し、「二大政党の中で市長選が争われるのは好ましくないという結論にいたった。私の場合は市民党であるから、したがって、11月の選挙のときには挑戦をしたい」と述べ、4選出馬を明らかにした[9]。早川は1996年の初当選時、「推されても3期まで」と公言していた[10]。それゆえ議場からはどよめきが起こり、各政党・団体関係者は対応に追われた[11]

同年6月30日、連合愛知豊橋地域協議会は早川を推薦する方針を決定[12]。民主党が出馬を要請してきた河合は7月1日、新聞の取材に、出馬しない意向を明らかにした[13]。早川が出馬表明した直後から、小久保に断念を促す動きが加速し、党幹部や財界の一部が小久保や後援会関係者の説得に乗り出した。しかし小久保は7月、約30年間在籍した自民党から離党するという後戻りできない所へ向かった[14]

同年7月8日、自民党県連は佐原の推薦を決定した[15]。同日、佐原の後援会設立総会が開かれる。農林水産大臣の若林正俊中部経済連合会副会長の神野信郎らが出席し「有力候補」を印象づけたが、佐原は企業回りをする中で自民党関係者に「党は組織として彼(小久保)を何とかできないんですか」と不満をぶちまけた[3]。自民党の分裂状態に、早川の後援会のある幹部は「戦わずして勝った」と高笑いした[10]

同年11月9日、市長選が執行。前自民党県議の小久保、4選を目指す現職の早川を破り初当選を果たした[16][17]。11月17日、市長就任[18]

※当日有権者数:289,228人 最終投票率:45.55%(前回比:増加13.8pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
佐原光一55無所属51,102票39.17%(推薦)自由民主党
小久保三夫67無所属43,481票33.33%
早川勝67無所属35,868票27.50%(推薦)連合愛知

2012年豊橋市長選挙

2012年(平成24年)、自民党と連合愛知の推薦を受けて立候補[19][20]。元自由民主党衆議院議員杉田元司との一騎打ちを制し再選。

※当日有権者数:291,834人 最終投票率:41.16%(前回比:減少4.39pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
佐原光一59無所属62,867票53.04%(推薦)自由民主党・連合愛知
杉田元司61無所属55,671票46.96%

2016年豊橋市長選挙

2016年(平成28年)、日本共産党県委員の串田真吾を破り3選[21]

※当日有権者数:299,984人 最終投票率:29.82%(前回比:減少11.34pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
佐原光一63無所属63,600票72.41%(推薦)自由民主党・公明党
串田真吾40無所属24,239票27.59%(推薦)日本共産党

2020年豊橋市長選挙

2020年(令和2年)3月26日、国民民主党所属の浅井由崇県議が任期満了に伴う市長選挙に立候補することを表明[22]。佐原は同年6月20日に開いた後援会幹部の会合と、6月21日に開いた自民党豊橋支部の会合に相次いで出席し、市長選での支援を要請。7月1日、記者会見し、市長選出馬を正式表明した[23]。会見には新しく後援会長に就任した前JA豊橋組合長、選挙事務長に就く予定の山本明彦、選対本部長に就く予定の根本幸典らも同席した[24]。9月28日、弁当販売業の鈴木美穂が出馬表明[25]。10月4日、日本共産党は候補者を立てず、浅井由崇を独自に支援することを決定[26]。10月7日、佐原陣営は企業団体後援会の設立総会を行うとともに、政治資金パーティーを開催した[25]

11月8日に執行された市長選で、連合愛知の推薦を受けた浅井由崇に大差で敗れ落選した[27][28]。佐原は元々、4選を目指す早川勝への多選批判と、「市長任期の3期12年の条例化」を掲げて初当選した経緯もあり[29]、浅井から矛盾をつかれ苦戦[30]。また、わずか1カ月前に出馬表明した新人女性に1万票も取られるなど、自民公明の統制力の低下が浮き彫りとなった[30]。11月16日、市長を退任。

※当日有権者数:297,830人 最終投票率:43.14%(前回比:増加13.32pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
浅井由崇58無所属68,977票54.27%(推薦)連合愛知、(自主支援)日本共産党
佐原光一66無所属48,085票37.83%(推薦)自由民主党公明党
鈴木美穂46無所属10,034票7.89%

2024年(令和6年)11月の秋の叙勲において、旭日中綬章を受章した[31][32]

市政・人物

脚注

外部リンク

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