青木茂 (豊橋市長)
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台湾台北市生まれ[3][4][注釈 1]。台北高等学校[2]を経て、1933年(昭和8年)台北帝国大学を卒業[2][3]。台湾総督府に入り台北州産業部長などを務めた[2]。終戦後、参議院事務局警務部長などを務めた[2]。1949年(昭和24年)地域開発の論文を出身地の岐阜県庁へ提出[2]。その後、共栄製パン専務、日本生物科学研究所大宮工場総務部長などを歴任[1]。
1958年(昭和33年)岐阜県知事選挙に立候補したが落選[3]。1960年(昭和35年)6月28日に行われた豊橋市長選挙で河合陸郎が初当選。同年7月16日、河合に招かれ助役に就任した。4期14年強、豊橋市役所において助役を務めた[2][5]。
1975年(昭和50年)3月26日、河合陸郎が豊橋市長を辞職。河合の辞職に伴い4月27日に行われた市長選挙に立候補して初当選[1]。同日、市長に就任した[6]。1979年(昭和54年)無投票により再選[3][6]。任期中、豊橋市地下資源館や各校区の市民館の建設、三河港の整備などを行った[2]。
1983年(昭和58年)の市長選挙に、恐竜の全身骨格を展示する自然史博物館(現在は豊橋総合動植物公園の一角にある)建設を訴えて3選を目指して立候補。同博物館建設反対を訴える元自民党県議の高橋アキラ、日本共産党公認の新人を相手に戦うも次点で落選[6][7][注釈 2]。