佐束川
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流路
地形
歴史


河川名の「佐束」は極めて古い地名であり、かつては「狭束」とも表記された。
奈良時代の文献に「狭束郷」の使用例が見られ、それによれば遠江国城飼郡に属していた11の郷の一つとされていた[5]。「佐束」および「狭束」のいずれの表記も「谷間の流水を集め束ねて流す」[5]という意が込められているとされ、高瀬村や小貫村の狭い佐谷から流れ出た渓流が、中方村で束ねられていく様を表している[5]。
平安時代の『倭名類聚抄』においても、遠江国城飼郡の郷の一つとして「狭束」[4]と記載されている。また、和訓については「㔫豆加」[4]と記されている。
明治時代に入ると、佐束川が流れる高瀬村、小貫村、中方村が合併することになり、1889年(明治22年)に佐束村が設置された。佐束川は佐束村の中央を北から南に貫いており、文字どおり村の中心となっている。



