佐羽淡斎 From Wikipedia, the free encyclopedia 佐羽 淡斎(さば たんさい、1772年4月12日(明和9年3月10日)[1] - 1825年8月17日(文政8年7月4日))は、江戸時代の漢詩人、商人。名は芳、字は蘭卿、号は淡斎・風月主人[2]。 上野桐生の絹買次商である佐羽吉右衛門の4男として生まれ、若い頃から漢詩に熱中した[2]。1810年(文化7年)、初代吉右衛門の後を継いで2代目吉右衛門を名乗り、桐生随一の絹買次商となった[2]。淡斎は利益を独占せずに広く困窮者に施しただけでなく[3]、その財力を生かして、亀田鵬斎・大窪詩仏・市河寬斎・山本北山・菊池五山・柏木如亭といった漢詩人のパトロン的役割を果たした[2]。 淡斎の詩は南宋の三大家(陸游・笵成大・楊誠斎)からの尋章摘句というべき作風と評される[4]。一方で、白話小説に通じる一面もあった[4]。 群馬県立女子大学で佐羽淡齋研究会が活動している[5]。 脚注 [脚注の使い方] ↑ 『国書人名辞典 第2巻』岩波書店、1995年、p.372。 1 2 3 4 新谷雅樹「ある江戸人の異文化理解(二) : 佐羽淡斎(一七七二~一八二五)の総宜楼の詩碑をめぐって」『神奈川県立国際言語文化アカデミア紀要』第2巻、神奈川県立国際言語文化アカデミア、2013年、143-164頁、doi:10.20686/academiakiyou.2.0_143。 ↑ 新谷雅樹「百年、畢竟、これ行旅 : 桐生の詩人・佐羽淡斎の「総宜楼」詩碑をめぐって」『藝文研究』第102巻、慶應義塾大学藝文学会、2012年6月、21-41頁。 1 2 新谷雅樹「ある江戸人の異文化理解(一) : 佐羽淡斎(一七七二~一八二五)の総宜楼の詩碑をめぐって」『神奈川県立国際言語文化アカデミア紀要』第1巻、神奈川県立国際言語文化アカデミア、2012年、39-54頁、doi:10.20686/academiakiyou.1.0_39。 ↑ 群馬県立女子大学文学部国文科佐羽淡齋研究会「『淡齋百律』全譯註稿(中Ⅰ)」『群馬県立女子大学紀要』第41巻、群馬県立女子大学、2020年2月、43-65頁、CRID 1050569247289520000、ISSN 0285-9432、NAID 120007009080。 典拠管理データベース 全般 VIAF 国立図書館 日本 学術データベース CiNii Books CiNii Research その他 IdRef Related Articles