佐藤久一
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父、久吉は日本酒醸造元「金久(きんきゅう)酒造」を経営、市議会議長、商工会会頭などを歴任、テニスの振興に尽力するなど、名家の主として知られる。
久一は、大学中退後、20歳で映画館「グリーンハウス」支配人に就任。洋画専門館として名を馳せる。淀川長治や荻昌弘が羨んだという映画館だった。 1964年には映画館の職を辞して、上京、日生劇場に勤務。同劇場の劇場課、のち食堂課に勤務。1967年8月、父、久吉の求めで酒田に戻り、以後、「レストラン欅」、「ル・ポットフー」の支配人として活躍。地方都市には珍しいフランス料理の名店として、著名な食通達の間で評判を博す。この店の味を絶賛した著名人には、開高健、丸谷才一、山口瞳らがいる[2]。1993年1月、「ル・ポットフー」を退職。1997年1月、食道癌で亡くなる。