佐藤元長
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父は佐藤重俊である。陸奥国会津に生まれ、会津藩藩主松平容保の侍講を務めた高津淄川[* 1]に学んだ。江戸詰御医師として五人扶持を給され[4]、藩邸を拠点に多紀元堅(多紀茝庭)から医学を学ぶ[* 2]。佐藤は多紀塾の塾頭に進んだ[3]。黒船来航後に種痘を学び、郷里で施術を行っている。安政4年(1857年)に幕命によって医学館医書校正となり、講師を経て教授に進んだ。文久3年(1863年)には征夷大将軍徳川家茂に拝謁し、袋杖登城を許された[3][5]。藩命により幕末の京へも赴いている。維新後は千住で医業を営んだほか、私塾を開いて近在の子供たちを教育した。のち茨城県下妻町で病院長を務める。墓所は池上本門寺[3]。