佐藤幸治 (ボクサー)
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来歴
アマチュア
中学3年生の時、兄の影響でボクシングを始める。高校3年時の1998年かながわ・ゆめ国体少年・インターハイ・高校選抜ライトウェルター級で優勝し、高校生では日本初のアジアジュニア大会に出場し銀メダルを獲得。
大学1年時の1999年全日本・くまもと未来国体成年ウェルター級優勝、2000年の2年時には全日本・とやま国体成年ライトミドル級優勝、2001年の3年時には全日本・新世紀・みやぎ国体成年ライトミドル級優勝、2002年4年時にはボクシング部のキャプテンを務めよさこい高知国体成年・全日本ライトミドル級優勝。
大学卒業後、自衛隊体育学校で2003年NEW!!わかふじ国体・全日本ミドル級優勝(全日本決勝では南京都高校3年、後のロンドンオリンピック金メダリスト・WBA世界ミドル級王者村田諒太に1回RSC勝利)と活躍し、全日本5連覇などを含む13冠を獲得。シドニーオリンピック・アテネオリンピックのアジア予選の日本代表になったが、準決勝でスリヤー・ソー・プルンチットに敗退し出場は叶わずプロに転向する[3]。
プロ
2004年、帝拳ボクシングジムに入門しB級ライセンスを取得。
2005年4月8日、ラスベガス・オーリンズで行われたプロデビュー戦では、フランシスコ・バルデスに初回KO勝利を収め、後に何度か経験したラスベガス合宿ではマイク・マッカラムの指導を受けた[4]。同年9月25日には横浜アリーナのダブル世界戦のアンダーカードで李朱永に1回2分36秒TKO勝利を収めた。
2006年、B:Tight!に参戦。12月9日の決勝ではWBA世界ミドル級王座に挑戦経験のある保住直孝を3回1分17秒TKO勝ちで退けて優勝した。
2007年3月17日、プラディープ・シンが返上したため催されたOPBF東洋太平洋ミドル級王座決定戦で、同級1位のアダム・ベラを9回1分11秒TKO勝ちで退け王座を獲得に成功し、プロ初戴冠を果たした。同年8月4日、OPBF同級4位のデービッド・コスワラを2回1分54秒TKO勝ちで退けて初防衛に成功し、12月15日にはOPBF同級8位の小松学を3回KOで退け、2度目の防衛に成功した。翌2008年4月19日、OPBF同級5位・インドネシア王者バンバン・ルサディの2回終了時棄権により3度目の防衛に成功。同年9月6日には日本同級王者江口啓二を1回1分52秒TKO勝ちで下し、4度目の防衛に成功した。2009年1月3日、パシフィコ横浜のダブル世界戦のアンダーカードで前メキシコスーパーウェルター級王者でメキシコ同級2位のマルティン・アビラとノンタイトル10回戦を行い、2回2分18秒KO勝利を収めた。
2009年4月25日、無敗のまま世界初挑戦。ドイツ・クレーフェルトのケーニッヒ・パラストでWBA世界ミドル級王者フェリックス・シュトルムに挑んだが、王者の巧みなジャブに制され7回2分46秒TKO負けを喫した[5]。プロ15戦目にして初黒星となった。6月5日、自身のブログで現役続行を表明した[6]。
2009年12月13日、松下IMPホールで日本ミドル級王者でOPBF東洋太平洋同級王者の鈴木哲也にOPBF東洋太平洋ミドル級王座を懸けOPBF東洋太平洋同級2位として挑戦し、116-113、116-113、115-113の3-0で判定勝利を収め、返上した王座を再獲得した[7]。翌2010年4月3日には韓国ミドル級王者でOPBF同級2位の李在明と対戦し、4回に2度のダウンを奪い、4回2分41秒TKO勝ちで初防衛に成功[8]、同年7月3日にはOPBF東洋太平洋同級8位で韓国スーパーウェルター級2位の尹仁栄と対戦し、3回2分6秒KO勝ちを収め、2度目の防衛に成功した[9]。
2010年12月4日、サロモン・ロドリゲス(メキシコ)とノンタイトル戦で対戦し、2回に右フックでロドリゲスからダウンを奪うが、4回終了間際にロドリゲスの右ストレートでプロ2度目のダウンを奪われるなど苦戦を強いられるも、5回に猛攻を浴びせ、最後は右フックでロドリゲスをリングに沈め5回0分37秒TKO勝ちを収めた[10]。
2011年8月6日、後楽園ホールで氏家福太郎(新日本木村)とOPBF王座の3度目の防衛戦を行い、6回1分33秒TKO勝ちで3度目の防衛に成功した[11]。
2011年12月12日、後楽園ホールで日本ミドル級王者淵上誠(八王子中屋)と日本・OPBFミドル級王座統一戦を行い、9回1分26秒TKO負けを喫し日本王座とOPBF王座の統一に失敗。日本王座の獲得に失敗すると共にOPBF王座の4度目の防衛にも失敗しOPBF王座を淵上に譲り渡す結果となった[12]。
2012年6月19日、自身のブログで現役引退を発表した。
引退後は、不動産会社や世界を旅する豪華客船の従業員など職を経て、有名人をボディガードする警備会社に就職した[13]。
アマチュア復帰
引退から7年が経過した2019年6月30日、プロからアマへの転向が解禁されたことを受け、2020年東京オリンピックを目指すべく38歳でアマ復帰した。その初戦となる全日本選手権東京都予選で勝利するも[14]、東京五輪予選出場選手を決める全日本選手権75キロ級(ミドル級)の準々決勝で森脇唯人に敗退し、東京オリンピック出場は叶わなかった[13]。
2023年4月、東京都千代田区議会議員選挙に出馬したが落選した[15]。
戦績
- アマチュアボクシング:136戦133勝 (101KO・RSC) 3敗[4](※海外の国際大会での戦績を除く)
- プロボクシング:22戦20勝 (18KO) 2敗 (2KO)
| 戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2005年4月8日 | 勝利 | 1R 0:56 | KO | フランシスコ・バルデス | プロデビュー戦 | |
| 2 | 2005年7月2日 | 勝利 | 3R 1:27 | KO | 金住泰 | ||
| 3 | 2005年9月25日 | 勝利 | 1R 2:36 | TKO | 李朱永 | ||
| 4 | 2006年1月7日 | 勝利 | 3R 1:50 | TKO | 崔光鎭 | ||
| 5 | 2006年4月1日 | 勝利 | 6R 1:58 | TKO | 呉必勝 | ||
| 6 | 2006年8月19日 | 勝利 | 4R | 判定3-0 | 岡田山金太郎 | (オサム) | |
| 7 | 2006年10月21日 | 勝利 | 1R 2:27 | TKO | 鮎沢雅夫 | ||
| 8 | 2006年12月9日 | 勝利 | 3R 1:17 | TKO | 保住直孝 | (ヨネクラ) | 第3回B:Tight!ミドル級決勝 |
| 9 | 2007年3月17日 | 勝利 | 9R 1:11 | TKO | アダム・ベラ | OPBF東洋太平洋ミドル級王座決定戦 | |
| 10 | 2007年8月4日 | 勝利 | 2R 1:54 | TKO | デビッド・コスワラ | OPBF防衛1 | |
| 11 | 2007年12月15日 | 勝利 | 3R 3:04 | KO | 小松学 | (ワタナベ) | OPBF防衛2 |
| 12 | 2008年4月19日 | 勝利 | 2R終了 | TKO | バンバン・ルサディ | OPBF防衛3 | |
| 13 | 2008年9月6日 | 勝利 | 1R 1:52 | TKO | 江口啓二 | (姫路木下) | OPBF防衛4 |
| 14 | 2009年1月3日 | 勝利 | 2R 2:18 | KO | マルティン・アビラ | ||
| 15 | 2009年4月25日 | 敗北 | 7R 2:46 | TKO | フェリックス・シュトルム | WBA世界ミドル級タイトルマッチ | |
| 16 | 2009年12月13日 | 勝利 | 12R | 判定3-0 | 鈴木哲也 | (進光) | OPBF東洋太平洋ミドル級タイトルマッチ |
| 17 | 2010年4月3日 | 勝利 | 4R 2:41 | TKO | 李在明 | OPBF防衛1 | |
| 18 | 2010年7月3日 | 勝利 | 3R 2:06 | KO | 尹仁栄 | OPBF防衛2 | |
| 19 | 2010年12月4日 | 勝利 | 5R 0:37 | TKO | サロモン・ロドリゲス | ||
| 20 | 2011年4月20日 | 勝利 | 1R 2:25 | KO | アデ・アルフォンス | ||
| 21 | 2011年8月6日 | 勝利 | 6R 1:33 | KO | 氏家福太郎 | (新日本木村) | OPBF防衛3 |
| 22 | 2011年12月12日 | 敗北 | 9R 1:26 | TKO | 淵上誠 | (八王子中屋) | 日本・OPBFミドル級王座統一戦/OPBF王座陥落 |
| テンプレート | |||||||
獲得タイトル
アマチュア
|
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プロ
- 第3回B:Tight!ミドル級優勝
- 第40代OPBF東洋太平洋ミドル級王座(防衛4度)
- 第42代OPBF東洋太平洋ミドル級王座(防衛3度)
- 受賞歴
- プロ・アマチュア年間表彰
- 2008年度プロ部門 新鋭賞