森脇唯人
From Wikipedia, the free encyclopedia
高等学校卒業まで
足立区立江北小学校・江北中学校(現:江北桜中学校)を卒業した[1]。小学5年から中学3年まで続けていた極真空手では、長身のために顔面打撃の反則を犯す傾向があったが、逆にこの特徴が私立駿台学園高等学校定時制で始めたボクシングで開花した[2][3]。高校3年時の2014年には平成26年度インターハイのミドル(75kg)級で3位に入賞した[3]。
アマチュアボクサー時代
法政大学法学部[4]に進むと、2017年から全日本ボクシング選手権大会で3連覇した[3]。また大学3年時の2018年にはロシア国際トーナメントで銅メダルを獲得した[3]ほか、ジャカルタで開催されたアジア大会に出場した(テスト大会では金メダル獲得[5][4]、本大会では1回戦敗退[6])。
大学卒業後の2019年に自衛隊に入隊し、スポーツに専念する「体育特殊技能者」の隊員として自衛隊体育学校に所属した[3]。
2020年3月に、日本ボクシング連盟によって2020年東京オリンピックのボクシング競技男子ミドル(75kg)級代表に選出された[7]。
2021年2月11日、国立代々木競技場で開催のチャリティーボクシングイベント『LEGEND』でWBOアジア太平洋スーパーウェルター級王者・井上岳志と対戦した[8]。
新型コロナウイルス感染症の世界的流行の影響で1年遅れて2021年7月に実施された東京オリンピックでは、2回戦でウクライナの選手に判定負けした[9]。同年11月の全日本選手権ではミドル級(75kg)4連覇を達成した[10]。
ミドル(75kg)級が2024年パリオリンピックで廃止されるとの情報から2022年にライトヘビー(80kg)級に転向した[11]。同年11月の全日本選手権はライトヘビー(80kg)級に出場し、転向後の初めての大会であったが優勝して大会5連覇を達成した[12]。
2023年11月26日の全日本選手権ライトヘビー(80kg)級決勝戦で若谷豪に判定で敗れて、大会連覇が途切れた。また、本大会は2024年パリオリンピック世界予選の代表選考を兼ねていたため、同五輪への森脇の出場も消滅した[13]。2024年3月に自衛隊を退職した[14]。アマチュア時代の通算戦績は118戦92勝26敗だった[14]。
プロボクサー時代
2024年8月31日、アメリカを拠点にプロ転向を表明した[15]。しかし、アメリカのプロモーターとの契約が不調に終わったため、高校時代から通っていたワールドスポーツジムでプロを目指すと決め、2025年5月20日に村田諒太、坪井智也、堤麗斗に次ぐ史上4人目となるA級プロテスト合格を果たした[14]。
2025年6月19日、大田区総合体育館でブライアン・ノーマン・ジュニア対佐々木尽の前座ならびにプロデビュー戦として韓国ミドル級王者のベク・ハソと76.2kg契約8回戦を行い、8回3-0(78-73、79-72×2)の判定勝ちを収めプロデビューを白星で飾った。A級プロテストに合格したプロボクサーがA級(8回戦)でプロデビューを果たしたのは坪井智也に次いで2人目。
2025年12月18日、後楽園ホールでプロ2戦目にしてOPBF東洋太平洋・WBOアジア太平洋スーパーミドル級王者の尹徳魯とOPBF東洋太平洋・WBOアジア太平洋同級タイトルマッチを行うも、4回に起きた偶然のバッティングで尹が左目上をカットしドクターストップによる試合続行不可で負傷引き分けに終わりプロ2戦目での両王座獲得に失敗、坪井智也と並ぶWBOアジア太平洋王座戴冠の最短タイ記録と堤駿斗、横山葵海が保ってきた3戦目を超えるOPBF王座戴冠の最短記録更新とはならなかった[16]。
2026年5月2日、東京ドームで井上尚弥対中谷潤人の前座でOPBF東洋太平洋・WBOアジア太平洋スーパーミドル級王者の尹徳魯とダイレクトリマッチによる再戦となるOPBF東洋太平洋・WBOアジア太平洋同級タイトルマッチを行う予定。
人物
地元の足立区への愛着が強く、特別に自衛隊の寮ではなく実家から通勤していた[1]。