何休
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略歴
学問
何休は、従来の『春秋』研究に対し駁論600余條を書き、『春秋公羊伝』こそが『春秋』にとっての唯一の解釈書と主張した[1]。暦算に優れ、その師である羊弼と李育の説に則り、『春秋左氏伝』『春秋穀梁伝』を難じ、『公羊墨守』『左氏膏肓』『穀梁廢疾』を著した[2]。
何休は『春秋』を単なる年代記としてではなく、歴史の法則が含まれた経典として扱い、『春秋』の解釈である『公羊伝』の研究を、経学の一部門として確立した。そこでは、董仲舒に一端が見られる「公羊伝が漢代に制作された」という説と、文化が「乱世・外平・太平」という三段階で発展するという説を強調した。清代に盛んになった公羊学で根拠とされたのは、何休が注釈を施した『公羊伝』である。