俊崇坊 From Wikipedia, the free encyclopedia 俊崇坊(しゅんそうぼう、生没年不詳)は、安土桃山時代の阿波国雲辺寺の住職である。 長宗我部元親を評価しなかったことでも知られる。1577年に長宗我部元親が雲辺寺を訪れ四国統一の夢を語った際、「薬缶の蓋では水瓶の蓋はできません。あなたも四国全土を覆える器ではなく、土佐一国の器です」と諭したとされる。しかし元親は「我が蓋は元親という名工が鋳た蓋である。たとえ小さくとも四国に蓋をしてみせる」と答えた[1]。 元親は1585年に四国を統一する。しかし、その後羽柴秀吉の四国征伐がはじまり、元親は土佐統一後に約10年間かけて得た伊予・阿波・讃岐を失い、天下統一の夢は破れた。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 出典 ↑ 山本大『長宗我部元親』(新装版第四刷)吉川弘文館、2009年(原著1960年)。ISBN 978-4-642-05103-3。p. 74. Related Articles