保科弥三郎 From Wikipedia, the free encyclopedia 保科 弥三郎(ほしな やさぶろう)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて活躍した日本の武将である。 彼については史料が少なく、実在したかどうかも疑問視されている。 建武2年(1335年)に北条時行を擁立して勃発した中先代の乱において、諏訪氏や四宮左衛門太郎や夏目氏とともに青沼合戦を戦う。しかし、信濃守護小笠原貞宗や、その側近市河助房の追撃を受けて潰走する。 その後も八幡河原や福井河原などで足利方と争い、最後は清滝城に籠城して足利方と攻防戦を繰り広げる。しかし、最後は鎌倉の主導権を足利方が得て時行が敗北したことにより清滝城も落城し、その後は消息を絶っている。しかし、戦国時代には南信濃の高遠城に保科正則の名が登場することから、南信濃の方へと逃れたと推察できる。 一方、鎌倉を落として北条時行を打ち破って諏訪頼重を自害に追い込んだ足利尊氏だったが、その後鎌倉に居座り続けたことで後醍醐天皇の反感を買い、朝敵とされる。 こうして南北朝時代を迎えると、保科氏はここでも南朝について小笠原貞宗と争うが敗北している。その後は不明。 題材にした作品 ・逃げ上手の若君(松井優征、2021年、集英社『週刊少年ジャンプ』、連載) この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles~TimelinesTop QsFact Checks