東漢氏
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渡来集団として
漢氏と東漢氏・西漢氏
漢氏 (あやうじ)は東漢氏(倭漢氏、やまとのあやうじ)と西漢氏(河内漢氏、かわちのあやうじ)の両系にわかれる[4]。西漢氏は東漢氏とは同族であるが、氏は異なる[1]。
その後に渡来した今来漢人(新漢人)(いまきのあやひと)も加えられる[4]。
阿知使主の末裔の漢氏は飛鳥に近い檜隈を拠点とした[1]。大和に居住する漢氏は東漢氏(東文氏)となり、河内に本拠を持っていた漢氏は西漢氏(西文氏・西書氏)となった[5]。織物工芸に長けていたため、両氏とも「漢」と書いて「アヤ」と読ませている。
『続日本紀』延暦四年(785年)6月条は東漢氏の由来に関して、「神牛の導き」で中国漢末の戦乱から逃れ帯方郡へ移住したこと、氏族の多くが技能に優れていたこと、聖王が日本にいると聞いて渡来してきたことを記している。系譜などから判断すれば、東漢氏は漢王朝との関係を創作したものと思われる。
東漢氏と直接の関係は無いが百済から五経博士「漢高安茂」という人が派遣されており、それ以前に派遣されていた博士「段楊爾」と替えたいと百済は申し出ている[6]。