児童学
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歴史
18世紀後期に心理学から枝分かれした。1893年にオスカー・クリスマンが「Pedology」と命名。スタンレー・ホールらが研究の基礎を築いた。19世紀後期のヨーロッパでは、自然科学的手法で子供の行動の研究がおこなわれるようになった。1909年に、カジミェシュ・トヴァルドフスキらがオーストリア=ハンガリー帝国(現・ウクライナ)のリヴィウで児童学の学会を開催。1910年にはクラクフで同様の学会が持たれる。1911年にはベルギーのブリュッセルで第1回児童学世界大会が開催され、22カ国が参加したが、第1次世界大戦により、ヨーロッパでの児童学研究に終止符がうたれた。研究が未成熟であるため、共通な研究手法などが確立していない面もある。
ロシアにおける研究
ロシアでは、サンクトペテルブルクのアレクサンドル・ネチャーエフ(Александр Петрович Нечаев)らにより研究が進められ、1901年に児童学の教育実験が試みられた。ウラジミール・ベフテレフ (Vladimir Bekhterev) は児童学研究の一環で、脳と心理学の研究機関を設立した。ソビエト連邦となった1920~1930年代、レフ・ヴィゴツキーの支持者により児童学情報誌"Педология"(児童学)が発行されたが、過剰な実験による批判があったことから、ソ連共産党中央委員会より1936年7月4日に正式に禁止命令「教育人民委員部の系統における児童学的偏向について」がなされた[1]。この決定により、子どもの知能の発達研究が停滞したが、1956年ソビエト共産党第20回党大会においてスターリン個人崇拝批判がなされ、その後『ソビエト教育学』1956年12月号誌上に、グリゴーリー・コスチュークにより提案論文「子どもの教育と発達との相互関係について」が掲載されて、約一年にわたる討論が行われ、同時に、児童研究における知能発達の追究が再開されることとなった[2]。