八幡 (知多市)
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 八幡 | |
|---|---|
| 大字 | |
北緯34度58分15.38秒 東経136度54分19.56秒 / 北緯34.9709389度 東経136.9054333度座標: 北緯34度58分15.38秒 東経136度54分19.56秒 / 北緯34.9709389度 東経136.9054333度 | |
| 都道府県 |
|
| 市町村 |
|
| 人口情報(2020年(令和2年)10月1日現在[WEB 1]) | |
| 人口 | 14,130 人 |
| 世帯数 | 5,768 世帯 |
| 面積(2020年(令和2年)10月1日現在[WEB 2]) | |
| 3.083390541 km² | |
| 人口密度 | 4582.62 人/km² |
| 郵便番号 | 478-0001[WEB 3] |
| 市外局番 | 0562[WEB 4] |
| ナンバープレート | 名古屋[WEB 5] |
字一覧
- 荒井(あらい)[WEB 6]
- 荒古後(あらこうしろ)[WEB 6]
- 荒古前(あらこまえ)[WEB 6]
- 池下(いけした)[WEB 6]
- 池の下(いけのした)[WEB 6]
- 岩ノ脇(いわのわき)[WEB 6]
- 浦浜(うらはま)[WEB 6]
- 浦浜新田(うらはましんでん)[WEB 6]
- 大平地(おおひらち)[WEB 6]
- 小根(おね)[WEB 6]
- 苅宿(かりやど)[WEB 6]
- 勘右エ門沢(かんうえもんざわ)[WEB 6]
- 観音脇(かんのんわき)[WEB 6]
- 北廻間(きたばさま)[WEB 6]
- 北屋敷(きたやしき)[WEB 6]
- 儀七山(ぎしちやま)[WEB 6]
- 楠廻間(くすばさま)[WEB 6]
- 蔵池(くらいけ)[WEB 6]
- 小原田(こはらだ)[WEB 6]
- 笹廻間(ささばさま)[WEB 6]
- 里之前(さとのまえ)[WEB 6]
- 里脇(さとわき)[WEB 6]
- 沢(さわ)[WEB 6]
- 三反田(さんたんだ)[WEB 6]
- 汐海道(しおかいどう)[WEB 6]
- 獅子懸(ししがけ)[WEB 6]
- 下内橋(しもないばし)[WEB 6]
- 新道(しんみち)[WEB 6]
- 樹木(じゅもく)[WEB 6]
- 成就(じょうじゅ)[WEB 6]
- 杉山(すぎやま)[WEB 6]
- 宗作(そうさく)[WEB 6]
- 曽山(そやま)[WEB 6]
- 高根(たかね)[WEB 6]
- 竹後(たけのうしろ)[WEB 6]
- 種池(たねいけ)[WEB 6]
- 茶原下(ちゃはらげ)[WEB 6]
- 月山(つきやま)[WEB 6]
- 筒岡(つつおか)[WEB 6]
- 堂ケ島(どうがしま)[WEB 6]
- 中島(なかじま)[WEB 6]
- 長峰(ながみね)[WEB 6]
- 七曲り(ななまがり)[WEB 6]
- 鍋山(なべやま)[WEB 6]
- 西阿原(にしあはら)[WEB 6]
- 西大清水(にしおおしみず)[WEB 6]
- 西鴻之巣(にしこうのす)[WEB 6]
- 西前田(にしまえだ)[WEB 6]
- 西水代(にしみずしろ)[WEB 6]
- 根崎(ねざき)[WEB 6]
- 半田道(はんだみち)[WEB 6]
- 東阿原(ひがしあはら)[WEB 6]
- 東大清水(ひがしおおしみず)[WEB 6]
- 東大平地(ひがしおおひらち)[WEB 6]
- 東鴻之巣(ひがしこうのす)[WEB 6]
- 東前田(ひがしまえだ)[WEB 6]
- 東水代(ひがしみずしろ)[WEB 6]
- 左り脇(ひだりわき)[WEB 6]
- 平井(ひらい)[WEB 6]
- 平野(ひらの)[WEB 6]
- 普ケ脇(ふがわき)[WEB 6]
- 細見(ほそみ)[WEB 6]
- 堀切(ほりきり)[WEB 6]
- 堀之内(ほりのうち)[WEB 6]
- 前田(まえだ)[WEB 6]
- 丸根(まるね)[WEB 6]
- 南大平地(みなみおおひらち)[WEB 6]
- 深山口(みやまぐち)[WEB 6]
- 向長曽(むかいながそ)[WEB 6]
- 森之前(もりのまえ)[WEB 6]
歴史
地名の由来
八幡神社に由来する[1]。
沿革
- もとの寺本保にあたる地域は、1608年(慶長13年)に実施された備前検地により、5450石とされたため、平井村はじめ4村に分割された[2]。
- 1878年(明治11年) - 知多郡平井村・中島村・堀之内村・廻間村の合併により、同郡八幡村が成立[1]。
- 1889年(明治22年) - 市制町村制による八幡村となる[1]。
- 1894年(明治27年) - 養父村の一部を編入する[1]。
- 1906年(明治39年) - 新知村・佐布里村を編入し、同時に従来の村域を八幡村大字八幡とする[1]。
- 1922年(大正11年) - 町制施行により、八幡町大字八幡となる[1]。
- 1955年(昭和30年) - 岡田町、旭町と合併し、知多町大字八幡となる[1]。
- 1970年(昭和45年) - 市制施行により、知多市大字八幡となる[1]。
- 1971年(昭和46年) - 一部が北浜町に編入される[1]。
- 1973年(昭和48年) - 一部がつつじが丘・緑町に編入される[1]。
- 1975年(昭和50年) - 一部が清水が丘に編入される[1]。
- 1984年(昭和59年) - 一部が寺本台・原にそれぞれ編入される[1]。
- 1985年(昭和60年) - 一部が平野に編入される[1]。
- 1986年(昭和61年) - 一部が朝倉町・八幡新町にそれぞれ編入される[1]。
- 1987年(昭和62年) - 一部が西巽が丘に編入される[1]。
人口および世帯数の推移
国勢調査による人口および世帯数の推移。
| 1995年(平成7年)[WEB 7] | 4287世帯 13523人 | |
| 2000年(平成12年)[WEB 8] | 4742世帯 13862人 | |
| 2005年(平成17年)[WEB 9] | 5339世帯 14746人 | |
| 2010年(平成22年)[WEB 10] | 5193世帯 13989人 | |
| 2015年(平成27年)[WEB 11] | 5540世帯 13965人 | |
| 2020年(令和2年)[WEB 1] | 5768世帯 14130人 |
