八村信三
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大阪府布施市(現:東大阪市)の素封家・山田勝太郎の次男として生まれる[7]。大阪府立天王寺中学校 、静岡高等学校を経て[7]、1934年(昭和9年)東京帝国大学経済学部を卒業[1][4][6]。
1934年(昭和9年)7月、鳥取市の素封家・八村八太郎の養嗣子となる[7][注 1]。
1936年(昭和11年)鳥取市収入役となり、同市助役を経て、1944年(昭和19年)退任[4]。1949年(昭和24年)鳥取銀行常務、1959年(昭和34年)専務、1961年(昭和36年)副頭取を経て、同年11月頭取に就任[9]。1980年(昭和55年)6月会長に就任[4]。
1941年(昭和16年)昭和信用組合(現:昭和信用金庫)監査に就任[4]。1990年死去。死没日付をもって正五位に叙された[3]。
人物
栄典
家族・親族
- 八村家
- 先妻・緑(1910年生、鳥取市元魚町1丁目、呉服商・地主・鳥取市会議員・鳥取県会議員八村八太郎の養女[8])
- 後妻・純子(1921年(大正10年)5月14日生、西尾善孝の長女[1][2])
- 鳥取高等女学校(鳥取県立鳥取西高等学校)卒[4]。
- 長男・義郎(1934年(昭和9年)12月19日生[2])
- 次男・輝夫(1937年(昭和12年)10月8日生[2])
- 長女・美知子(1940年(昭和15年)4月22日生[2])
- 奥野家に嫁ぐ[4]。
- 三男・広三郎(1948年(昭和23年)6月29日生[2])
- 京都大学大学院工学研究科修了[4]。立命館大学情報理工学部名誉教授[4][10]。滋賀県地域情報化推進会議顧問[10]。
- 親戚