八橋健一

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愛称 ケニー
カタカナ ヤツハシ ケンイチ
ラテン文字 YATSUHASHI Kenichi
国籍 日本の旗 日本
八橋 健一
名前
愛称 ケニー
カタカナ ヤツハシ ケンイチ
ラテン文字 YATSUHASHI Kenichi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1969-02-06) 1969年2月6日(56歳)
出身地 愛知県江南市
監督歴
チーム
2001-2009 アメリカ合衆国の旗 BMCC
2010-2011 アメリカ合衆国の旗 ASAカレッジ
2012-2013 キルギスの旗 キルギス代表(U-16監督)
2014-2015 カタールの旗 アスパイア・アカデミー(U-16アシスタントコーチ)
2015-2016 ガーナの旗 ハーツ・オブ・オーク
2016 ナイジェリアの旗 イフェアニ・ウバ
2017 カンボジアの旗 カンボジアンタイガー
2017-2018 ガーナの旗 インター・アライズ
2018 ガーナの旗 アドゥアナ・スターズ
2019 ガーナの旗 キングス・パレス
2019-2020 インドの旗 ローンスター・カシミール
2021-2022 スリランカの旗 ネイヴィー・シー・ホークス
2022-2023 タイ王国の旗 アーントーン
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

八橋 健一(やつはし けんいち、1969年2月6日 - )は、愛知県江南市出身のサッカー指導者[1]

中学のサッカー部でサッカーを始める[1]。まだ日本でサッカーがそれほど人気のスポーツではなくプロリーグも存在しなかった少年時代、ディエゴ・マラドーナ尾崎加寿夫に憧れ[2]、プロのサッカー選手を目指して高校中退後ブラジルに渡って2年半を過ごし、1988年に2部のクラブでアマチュア選手登録をするがプロ選手の夢を断念し、芸術の学位を取得するためにニューヨークへ渡った[1][2]。この地で子供にサッカーを教えることでサッカーに対する情熱が再燃し、指導者の道を歩み始める。

ニューヨークの数々の男女ジュニアサッカーチームでコーチとして指導にあたった後、2001年から2009年までボロウ・オブ・マンハッタン・コミュニティ・カレッジ英語版 (BMCC) の男子および女子サッカーチーム監督を務めた。2005年にはNJCAA英語版男子サッカー全国選手権で3位の成績を収め、全米サッカーコーチ協会(現:ユナイテッドサッカーコーチズ英語版)からその年の最優秀監督賞を受賞した。また、ニューヨーク市立大学の各校からの選抜チームのコーチとして南アフリカ共和国ツアーに参加した[2][3]。2010年からは2年間ASAカレッジ英語版の監督を務めた[2]

2011年12月、23年間過ごしたニューヨークを離れ、日本に帰国[1]。その後、日本サッカー協会アジア貢献事業の一環としてキルギスサッカー連盟に派遣され、2012年7月から11月までU-14代表チームの監督およびAFC Cライセンスコースのアシスタントインストラクターを務めた。日本へ一時帰国した後、2013年3月に再びキルギスに渡ってからはU-16代表監督に加えてテクニカルダイレクターも兼任した[1]。2013年9月に行われたAFC U-16選手権2014予選グループFで八橋が率いるキルギスU-16代表はオマーンカタールと同組になり、オマーン戦は3-3で引き分け、カタール戦は3-4で敗れた。

キルギスでの仕事が終わった後、AFC U-16選手権予選での戦いぶりが評価されてカタールのアスパイア・アカデミーに招聘され、2014年9月から約1年間U-16アシスタントコーチを務めた[4][5]

2015年10月28日、ガーナ・プレミアリーグアクラ・ハーツ・オブ・オーク監督に就任[6]。なお、報酬は月3,000USドルを遥かに下回って1,800USドルになると報じられた[7]。アシスタントコーチにはヤウ・プレコが就任した[8]

長年低迷を続けたハーツ・オブ・オークは2016年シーズンに一時はリーグ首位に立っていたが、首位と勝ち点2差の4位の時点で八橋がAFCのコーチングコース参加を要望したことで6月20日に契約解除となった[4][9]。なお、ハーツ・オブ・オークはヤウ・プレコが監督代行を務めてリーグ3位でシーズンを終えている。また、八橋は最上位ライセンスとなるAFC Pro Diplomaを取得している。

2016年11月10日、ナイジェリア・プロフェッショナル・フットボールリーグFCイフェアニ・ウバ英語版監督に就任し、ヤウ・プレコが再びアシスタントコーチに就任するが[10]、プレシーズンの成績不振によりわずか1ヶ月後の12月12日に解任され、後任が決まるまでプレコが暫定的に指揮を執った。選手たちからはフィジカルのトレーニングに重きを置きすぎて戦術練習が乏しいという不満があるとも報じられた[11]。なお、八橋が語るところによればイフェアニ・ウバでの仕事に関してはプレコの方から誘いがあったようで、八橋が監督となって自身はアシスタントコーチの立場を求めたとのことである[2]

2017年2月5日にカンボジアンタイガーFC監督に就任するも[12]、わずか2ヶ月後の4月18日に退任[13]。退任前からガーナではアサンテ・コトコSC監督就任の噂が出ており、八橋もガーナ復帰を示唆していたが[14]、2017年11月30日にインターナショナル・アライズFC英語版監督に就任した[15]ガーナ・プレミアリーグで5位につけるものの、サッカー協会の汚職や審判の買収問題などでリーグが中断し再開の目処が立たない状況の中で2018年7月3日に双方合意の上で契約解除[16]

その9日後の2018年7月12日にアドゥアナ・スターズFC英語版監督に就任し[17]CAFコンフェデレーションカップを戦うもグループステージ敗退となり9月3日に退任[18]

2018年9月にはスポーツX株式会社とテクニカルアドバイザー契約を結び、同社の子会社であるおこしやす京都ACに外国人選手の推薦や指導を行う[19]

2019年4月12日、スポーツXが経営圏を取得したディビジョン1英語版(ガーナ2部)のキングス・パレスFC・アコソンボの監督に就任[20]

2021年1月24日、スリランカ・スーパーリーグスリランカ1部)のネイヴィー・シー・ホークスFC監督に就任[21]。共に加入した田代主水林遼太金城寛大らを指導することになった[22]

指導歴

資格

  • AFC Pro Diploma(2016年7月)
  • AFC Regional Instructor Certificate(2013年12月)
  • FIFA/AFC Grassroots Instructor Certificate(2013年11月)
  • FIFA GK Course Certificate(2013年10月)
  • CONCACAF Coaching License Certificate(2009年3月)
  • NSCAA GK Coaching Certificate I & II(2005年1月)
  • KNVB Coaching Symposium Advance Level Certificate(2002年7月)
  • US Soccer National Youth Coaching License(2000年6月)
  • US Soccer Federation National "A" Coaching License(1997年1月、有効期限2020年12月)

関連項目

脚注

関連項目

外部リンク

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