八道勉
アメリカ合衆国の野球選手 (1926-2013)
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来歴・人物
フェリントン高等学校の先輩である小島勝治と共に、1952年にハワイから、ハワイの野球チーム(ハワイレッドソックス)[1]の選手として来日した。その後、西鉄ライオンズに入団。最初はビリー・ワイヤットの控えだったが、ワイヤットの故障(右手親指骨折)によりレギュラー獲得。5月15日の近鉄戦では、五井孝蔵投手から初回先頭打者本塁打を放った[1]。俊足・巧打の選手で主に1番を打ち、夏場に調子を上げたが、間もなく自身も故障。ワイヤットに再びレギュラーの座を奪われ、1952年限りで退団した。
尚、自身が付けていた背番号7は、翌年から豊田泰光が付けた[4]。豊田は週刊ベースボール上の自身が連載している記事「豊田泰光のオレが許さん!」にて、「八道さんは、あの”ウォーリー”与那嶺要さんと同じ高校で1年先輩。与那嶺さんが前年途中に巨人で背番号7を付けて颯爽とデビューしたのを見て、背番号7を付けたかった。球団側も与那嶺と一緒の番号で、という意向だった」と記している[3]。