具臺晟

大韓民国の野球選手(1969-) From Wikipedia, the free encyclopedia

具 臺晟(ク・デソン、: 구대성1969年8月2日 - )は、大韓民国大田広域市出身の元プロ野球選手投手)、野球指導者。

国籍 大韓民国の旗 大韓民国
出身地 大田広域市
生年月日 (1969-08-02) 1969年8月2日(57歳)
身長
体重
183 cm
84 kg
概要 北京ローンズ 監督 #88, 基本情報 ...
具 臺晟(ク・デソン)
Koo Dae-Sung
北京ローンズ 監督 #88
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
出身地 大田広域市
生年月日 (1969-08-02) 1969年8月2日(57歳)
身長
体重
183 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1992年 KBO1次ドラフト
初出場 KBO / 1993年5月1日
NPB / 2001年3月24日
MLB / 2005年4月4日
最終出場 NPB / 2004年9月27日
MLB / 2005年8月20日
KBO / 2010年9月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • シドニー・ブルーソックス (2016 - 2018)
  • ジーロング・コリア (2018 - 2019)
  • 上海ドラゴンズ
    北京ローンズ
    英語版
    (2026 - )
国際大会
代表チーム 大韓民国の旗大韓民国
五輪 2000年
WBC 2006年
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ハングル 구대성
漢字 具臺晟
発音: クデソン
英語表記: Koo Dae-Sung
概要 ク・デソン, 各種表記 ...
ク・デソン
各種表記
ハングル 구대성
漢字 具臺晟
発音: クデソン
英語表記: Koo Dae-Sung
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現役時代には、韓国プロ野球(KBO)メジャーリーグベースボール(MLB)日本プロ野球(NPB)オーストラリアン・ベースボールリーグ(ABL)でのプレーを経験した。

経歴

プロ入り前

大田高等学校への在学中に、韓国高校選抜として来日。大阪府大阪スタヂアム)や鳥取県などで開かれた試合に登板した。漢陽大学校へ進学。

ピングレ・第一次ハンファ時代

1993年シーズンからピングレ・イーグルス(現在のハンファ・イーグルス)に入団。公式戦で先発投手に起用。しかし、大学時代から抱えていた右肩の故障の影響で、あまり活躍できなかった。

1994年からは、主にクローザーとして活躍。1996年には、最多勝利・最優秀救援投手・最優秀選手賞のタイトルを獲得した。1998年にはリリーフエースとして活躍し、24セーブを挙げ、同年7月にはNPBオリックス・ブルーウェーブから身分照会を受けていたが[1]、この時は入団は実現しなかった。

2000年シドニーオリンピックには、韓国代表の一員として参加。日本代表との対戦で日本打線を2度にわたって抑え込むなどの好投で、銅メダル獲得に貢献した。

オリックス時代

2001年にオリックスへ入団。シーズン当初は、最高球速150 km/hのストレートと高速スライダーを武器に、一軍公式戦でクローザーに起用。しかし、不安定な投球が続いたため、シーズン途中から先発へ転向した。一軍公式戦全体では、51試合に登板。7勝9敗10セーブ、防御率4.06という成績を残した(先発では9試合3勝4敗防御率3.41)。

2002年には、スローカーブなどによって緩急を付ける投球スタイルに変更、チーム打率.235と著しく低迷した打線の影響で勝ち星は5勝しか上げられなかったものの、防御率は金田政彦の2.50に次ぐパシフィック・リーグ2位の2.52。2003年には、故障の影響で、一軍公式戦への登板が19試合にとどまる。

2004年には、起用法を巡って、伊原春樹新監督やフロントと対立した。シーズン終盤には、ブルーウェーブによる大阪近鉄バファローズの吸収合併が決定。ブルーウェーブとして最後の公式戦になった9月27日の対大阪近鉄戦(ヤフーBBスタジアム)では、先発を任されると、ブルーウェーブの勝利によってチーム最後の勝利投手になった。一軍公式戦全体では、来日後の最多の3完投、6勝10敗、防御率4.32。シーズン終了後には、具自身のメジャー挑戦の意思が強く、契約に至らなかった。

メッツ時代

2005年に、ニューヨーク・メッツとスプリット契約を締結。後にメジャーへ昇格すると、公式戦の序盤に中継ぎ要員として活躍した。しかし、シーズン中盤からマイナーに降格すると、シーズン終了後に契約を解除された。同年オフにはブルーウェーブの後身であるオリックス・バファローズが具との再契約を検討したが[2]、これは実現しなかった。

第二次ハンファ時代

2006年3月にハンファへ復帰する。開幕前に第1回WBCの韓国代表に選出された。同大会では1次リーグの日本戦では、2イニングを完璧に抑えた末に、勝利投手になった。2次リーグでも日本戦の9回に登板したが、西岡剛にソロ本塁打を打たれ、チーム唯一の失点となる。なお、準決勝では故障で登板を回避している。

2007年には、KBO史上2人目の個人通算200セーブを達成。2008年には、故障で開幕に出遅れ中継ぎに回る。2009年は中継ぎを中心チームおよび自己最多の71試合に登板、チームが最下位でシーズンを終えたことから、推定年俸2億ウォン(1億ウォン減)で契約を更改した。

2010年8月15日に、同年のシーズン限りでKBOから引退することを発表。8月22日の記者会見では、オーストラリアン・ベースボールリーグシドニー・ブルーソックスで現役を続ける意向を示した。9月3日の対サムスン・ライオンズ戦に先発し、先頭打者の趙東贊をセンターフライに打ち取って降板。この試合がKBOでの引退試合になった。

シドニー時代

2010-11シーズンに、12セーブでリーグ最多セーブのタイトルを獲得した。2011年12月には、リーグのオールスター戦に世界選抜として出場。セーブを記録した。

2011-12シーズンにも、8セーブで2年連続最多セーブのタイトルを獲得。2012年11月に韓国・社稷野球場で開催されたアジアシリーズ2012に、パース・ヒートの一員として出場した。

2012-13シーズンには、18試合に登板。防御率2.89ながら、勝利・セーブとも記録できなかった。しかし、2013-14シーズンには、11セーブで2年振り3度目の最多セーブに到達。2014-15シーズンには、15試合の登板で、0勝1敗4セーブ、防御率2.12という成績を残した。

2015-16シーズンに、ロースターを外れた[3]ことから、現役生活に事実上終止符を打った。

2016-17シーズンからは、シドニーの投手コーチを務める[4]

ジーロング時代

2018-2019シーズン、オーストラリアン・ベースボールリーグに加盟する全員韓国人選手で構成されるジーロング・コリアの監督を務めた。

2023年1月17日、2018-2019シーズンに監督を務めたジーロングで現役復帰することを発表した[5]。1月19日、7点ビハインドという場面で登板し、1回を無安打無失点2三振で無失点に抑え、シーズン終了までチームに帯同した。

現役引退後

2024年より韓国のSBSスポーツで野球解説を務める[6]

2025年11月30日、中国で新たに開幕するプロ野球リーグ・中国都市野球リーグ英語版 (中国棒球城市聯賽, CPB) の上海ドラゴンズ(2026年夏季リーグ前に移転し北京ローンズ英語版に改名)が、具の監督就任を発表した[7]

詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...




















































W
H
I
P
1993 ビングレ
ハンファ
650002100.6678921.118012001100662.531.41
1994 3492007812 0.467500121.089858841283142352.601.22
1995 4712600414180.222660155.012718726111617077613.541.28
1996 552100183240.857521139.079727361832032291.880.76
1997 47000088250 .500417102.265741781345038363.161.03
1998 59200087240 .533500123.287552651295145352.551.12
1999 55500089260.471503119.1951348551385144413.091.20
2000 48700067210.462540133.1981347281364047412.771.09
2001 オリックス 5191007910--.438544126.1961471341433058574.061.32
2002 2222100570--.417608146.11221347131443045412.521.16
2003 1919000680--.429522113.21312351071182072634.991.60
2004 18183006100--.375502116.2105244408992065564.321.28
2005 NYM 3300000006----10623.02221312230012103.911.52
2006 ハンファ 59000034371.42928269.15641875760017141.821.07
2007 43000016260.14317342.14131210372017153.191.25
2008 3800002309.40016741.13921422291017163.481.28
2009 7100000018----22455.25451113561024233.721.17
2010 710000100.000254.272300300659.642.14
KBO:13年 56943900677121418.48646011128.285587415485712213534123572.851.13
NPB:4年 11068500243410--.4142176503.0454742134225041002402173.881.33
MLB:1年 3300000006----10623.02221312230012103.911.52
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  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

KBO
  • 最多勝利:1回 (1996年)
  • 最優秀防御率:2回 (1996年、2000年)
  • 最優秀救援:1回 (1996年)

表彰

KBO

記録

NPB

背番号

  • 15 (1993年 - 2000年、2002年 - 2004年、2006年 - 2010年途中、2018年)
  • 18 (2001年)
  • 17 (2005年)
  • 30 (2010年途中 - 2013年)
  • 45 (2014年 - 2015年)
  • 43 (2023年)

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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