内外レジャーランド
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| 内外レジャーランド | |
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国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成(1976年) 左下2棟に温泉施設(左側)とボウリング場(右側)、右側の林にスカンジナビアン・パビリオン | |
| 施設情報 | |
| 事業主体 | 内外緑地 |
| 管理運営 | 内外レジャーランド[1] |
| 面積 | 約50,000平米[1](第一期施設) |
| 開園 | 1969年1月3日[1] |
| 閉園 | 1976年[2] |
| 所在地 | 北海道石狩郡石狩町大字樽川306[1] |
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 本社所在地 |
〒065 北海道札幌市中央区北2条西3-1[3] |
| 本店所在地 |
〒061-32 北海道石狩郡石狩町大字樽川306(本社事務所)[3] |
| 設立 | 1968年1月5日[3] |
| 事業内容 | 宿泊業、レクリエーション施設経営、飲食業、温泉浴場業、喫茶店業、土産品販売[3] |
| 代表者 | 社長 松坂有祐[3] |
| 資本金 | 1億4800万円[3] |
| 主要株主 | 内外緑地[3] |
| 関係する人物 | 高田富與(会長)、箕輪登(取締役)、八木祐四郎(取締役)[4] |
石狩町樽川(現・花川南地区)で住宅団地「新札幌団地」を造成していた内外緑地が[5]、飲料水用の井戸を掘削中に温泉を発見したことをきっかけにレジャー施設の開発の検討を開始[1]。1966年9月に水温26.5℃の単純温泉が発見され[6]、塩化ナトリウムを主成分とした温泉とし[7]、これをきっかけとして「新札幌温泉郷」の別名を用い[5]、1968年1月には子会社「内外レジャーランド」を設立[6]。5万平米の敷地を開発し[1]、1968年12月23日に大広間などを備えた本館や浴場など第1期施設が落成[8]、1969年1月3日に開業し初年度には約15万人の来客を数えた[1]。来場者には内外緑地が分譲した新札幌団地の宅地を求める地方の客が多く、売店での買い物を目的とした新札幌団地の住民も見られた[2]。
その後は1972年に日本万国博覧会のスカンジナビア館の移築や[9]、ボウリング場を開業するも[6]、以降は大規模なレジャー開発は進展せず[10]、既存施設の経営は順調だったものの1976年には親会社のユー・アンド・アイ・マツザカ(旧・内外緑地)の倒産に伴い営業を停止[2]。1979年には石狩町議会で町によるレジャーランド施設取得を求める意見が出されたものの[11]、その後進展せず跡地は病院や大学用地などに転用された[2][9]。
温泉施設
スカンジナビアン・パビリオン
温泉施設から離れた花川南防風林東側に建設された[5]、日本万国博覧会でデンマーク・フィンランド・ノルウェー・スウェーデン・アイスランドの北欧5カ国が共同出展したパビリオン「スカンジナビア館」を移築した施設[9]。延床面積2,392平米、高さ8m[17]。
1969年8月に万博のPRのため来道した日本万国博覧会協会の石坂泰三会長・鈴木俊一事務総長と内外緑地の松坂社長が会談した際に石坂会長からパビリオンの譲受に関して「北海道の自然環境にマッチした北欧のスカンジナビア館あたりが良い」と助言を受けたことをきっかけに[18][19]、1970年7月に北海道産業開発委員会が北欧五カ国とパビリオン移築に合意[20]、10月22日に移築資材第1便となるトレーラー3台がフェリーで小樽港から北海道入りし23日から新札幌団地に移築資材の搬入を開始[21]、委員会メンバーの内外緑地が建設費を負担する形で71年5月に着工し[20]、新たな展示品を加えるなど7.1億円の費用をかけ[22]、1972年1月31日に開館式を実施[23]、札幌オリンピック開会式前日にあたる2月2日に開業[9]。万博開催時本館の正面にはパビリオンのテーマ「産業社会における環境の保護」のもと科学技術の正負の側面を表すプラスとマイナスの記号を上部にあしらったコンクリート製の半円型のシンボルタワーがあり[9]、開業当初の広告にもタワーの付いた写真が掲載されていたものの[17]、実際には移築されなかった[9]。開業時には北欧5カ国から200万円の寄付が行われたほか、札幌オリンピックに出場する北欧諸国の選手も多数訪問した[24]。
館内では北欧の経済や文化などを紹介する写真、バイキングの発展と侵略の解説や木造船「オーセベリー号」の模型や白夜のパノラマなどの展示[22]、54台のプロジェクターをフルに使ったスライドマルチビジョンを用い産業の革新による正負の側面を紹介する映像展示を展開する「エクスポホール」や[9]、2階には北欧の文化を上映する映写ホール「スカンジナビア大ホール」[22]、また北欧から招いた料理人が調理するレストラン「バイキング」などを設置し、開館当初には北欧人のコンパニオンが案内を行っていた[9]。周辺の原始林は「北欧の森」の愛称とし屋外活動に用いられた[25]。また北海道と北欧諸国の国際交流を行う社交機関を目的とした会員制度「SSC(サッポロスカンジナビアンクラブ)」も設けており個人6万円・法人20万円の入会金で会員にはパビリオン館内の飲食店やボウルニューサッポロ等内外レジャーランド施設での優待が受けられた[26]。
倒産後の1979年に石狩町長は町議会でスカンジナビアン・パビリオンの取得に前向きな意向を示すも[11]、1981年1月には周辺の16万平米の土地について藤学園への譲渡が成立[27]。ゼミナール室などへの転用も検討されたものの本館の内外が不法侵入により破壊され室内に煙草の吸殻や灯油などが持ち込まれるといった荒廃した状況となっており管理責任上問題があると判断し、1981年6月から7月にかけて解体。しかし事前の説明が不足した状況で解体が行われたことから、地元住民の他道内の北欧関係の友好団体や北海道庁の北方圏調査室といった国際交流関係の部署からは反対や懐疑的な意見が生じた[24]。その後跡地には藤女子大学花川キャンパスのテニスコートが整備された他[9]、花川南2条4丁目に設置された女子寮が居酒屋に転用され残存している[28]。
- 館内[26]
- 1階:エントランスホール、EXPOホール、シネホール、カフェテリア、バイキングレストラン
- 2階:特別展示室、SSCルーム、会議室
- 施設
- エントランスホール(総合展示ホール) - 白夜の現象を24時間かけて撮影した組写真パネル、ノルウェーのフィヨルド・デンマークのクロンボルグ城・スウェーデンのストックホルム・フィンランドの森と湖・アイスランドの火山といった各国の風景パネル、バイキングの歴史を紹介する帆船模型やパネル、ラップランド文化の紹介を展開[17]。
- エクスポホール - 54台のスライドプロジェクターと29台のスクリーンを用いてHBC映画社の再編集による「産業社会における環境と保護」をテーマとした映像展示を展開[17]。
- Aゾーン - 「現代人の環境」をテーマに現代の社会環境を正負両面からわかりやすく解説する。
- Bゾーン - 現代の産業革新がもたらす正負の面を比較しつつ、自然音や騒音などの様々な効果音を織り交ぜながらスカンジナビア諸国による公害追放への願いを取り上げる。
- Cゾーン - 80台の垂直プロジェクターから床や来場者の衣服にメッセージを小さく投影し、プラスの形に組まれたスクリーンに公害のない美しい世界を映し出す。
- シネホール(映写ホール) - 大阪万博の記録映画や北欧の文化に関する映画を上映する。
- スカンジナビアホール - 150人収容の大ホール、音響設備や映写装置を備え国際会議にも対応可能とした[17]。
- 特別展示室 - 物産展、写真展、万博写真展など特別展を主目的とし、即売会にも対応した[17]。
- レストランクラブ「バイキング」 - コペンハーゲンから招いた料理人による本格的な北欧料理をスモーガスボード形式で提供、約70-80人収容可能[17]。
- カフェテリア「メイポール」 - オープンサンドなどの軽食や飲料を販売[17]。
- ライブラリー - 北欧関連の図書を所蔵する図書室[26]。
- SSCルーム - SSC会員向けの専用室、秘書が常駐した[17]。