発寒川
From Wikipedia, the free encyclopedia
地理
歴史
発寒川の畔では、縄文時代の漁業遺構「紅葉山49号遺跡」が発掘された。発寒川に杭を打って大掛かりな罠(簗)を仕掛け、鮭を捕獲していたと考えられている。その後も長く発寒川は鮭の好漁場だったと考えられる。
もともと発寒川と琴似発寒川は連続した川で、その全体を発寒川と呼んでいた。かつての発寒川は、現在の琴似発寒川の流路を流れた後そのまま北に向かい、途中で西から追分川(現在の中の川下流部)を合わせて伏籠川に注いでいた。現在でも琴似発寒川は通称として発寒川と呼ばれることがある。しかし明治時代、札幌西北部の水運と低湿地開発を見込んで新川が掘削され、それまでの「発寒川」はふたつに分断された。以降、上流部は新川支流(二級河川新川水系)の琴似発寒川となり、下流部はやはり新川掘削で分断された追分川の下流部と併せて発寒川と呼ばれるようになった。
なお、琴似発寒川からかつての追分川合流点までの流路は跡形もなく消えている。
支流
- 安春川
- 屯田川
- 東屯田川


