内山敬二郎
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人物
上述の通り、西洋古典学の専門教育を受けた訳ではなく、在学中に田中秀央から西洋古典学を学んだ程度である。本人も「ギリシア語の知識は甚だ貧弱」と表明しており、その間に現存しているギリシア悲劇全33篇を直接原典によって研究したいという思いを持つようになる。盧溝橋事件直後の1937年7月からギリシア悲劇の翻訳に着手している。当初は10年計画で訳業を終える算段だったが、太平洋戦争終結前後には全て訳し終えていた。
元よりギリシア語が甚だ心許ないため、翻訳が完成するたびに田中秀央に見せ、彼の手直しを受けていた。また、元々出版する宛は無かったのだが、田中の尽力により、田中との共訳と言う形で、1941年に理想社から「希臘悲壯劇 ソポクレース」として刊行される。1943年には生活社の“ギリシアラテン叢書”の一書として「アイスキュロス 悲壯劇」を刊行。残るエウリーピデース篇は、当初は生活社から刊行される予定だった[2]が果たせず、1949年になり「希臘悲壯劇 エウリーピデース 上」として世界文学社より刊行された。だが、中巻印刷中に同社が倒産しただけでなく、その後の混乱から原稿が行方知れずとなる挫折に見舞われる。
しかし立ち直り、その後もギリシア悲劇の研究と翻訳に取り組み、1977年初めての個人訳全集として鼎出版会で「ギリシャ悲劇全集 Ⅲ エウリーピデース編(Ⅰ)」を上梓。翌1978年には「ギリシャ悲劇全集 Ⅳ エウリーピデース編(Ⅱ)」「ギリシャ悲劇全集 Ⅱ ソポクレース編」を、1979年に「ギリシャ悲劇全集 Ⅰ アイスキュロス編」を上梓し、生涯をかけ完結をさせたが、自身は全集完結を前に亡くなっている。