内田正容

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時代 江戸時代後期 - 明治時代
改名 貞吉(幼名)→正容
 
内田正容
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 寛政12年8月13日1800年10月1日
死没 明治3年1月27日1870年2月27日
改名 貞吉(幼名)→正容
別名 石川豊録
墓所 東京都台東区寿龍宝寺
官位 従五位下、伊勢
幕府 江戸幕府
下総小見川藩
氏族 石河氏内田氏
父母 父:石河貞通、養父:内田正肥
正室:多鶴姫堀田正時の養女、堀田正功の娘)
継室:松平宗允の娘
正道正徳正縄、2女
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内田 正容(うちだ まさかた)は、江戸時代後期の大名である。下総小見川藩の第6代藩主を務め、小見川藩内田家の9代目当主にあたる。

寛政12年8月13日(1800年10月1日)、大身旗本で留守居役を務めた石河貞通の三男として生まれた。貞通は備中岡田藩主・伊東長丘の五男である。

文化13年(1816年)に、第5代藩主・内田正肥が早世したため、その養子となり家督を継いだ。同年12月には叙任された。幕府の役職として、和田倉門番、馬場先門番、半蔵門番、竹橋門番、田安門番、日光祭祀奉行などを歴任している。

しかし、天保8年8月14日(1837年9月13日)、遊郭への出入りや屋敷に芸者を招くといった不行跡が理由で、幕府の命令により長男の正道に家督を強制的に譲らされ、隠居することとなった。この際、青山にあった江戸上屋敷も収公されている。

その後は、長男・正道(享年24)、次男・正徳(享年34)、三男・正縄(享年31)の3人の息子が相次いで早世するという不幸に見舞われた。明治3年1月27日(1870年2月27日)に死去。享年71であった。

逸話・評価

系譜

参考文献

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