父は松永長頼、母は内藤国貞の娘。兄に内藤如安。夫は丹波の国人という。1587年に夫は死去したという。一度は仏門に入ったものの、慶長元年(1596年)頃、洗礼を受け、ジュリアと名乗る[1]。大名夫人たちへの布教活動を行い、主な人物としては豪姫を改宗させた。慶長11年(1606年)に日本で初めての女子修道会ベアタス会を京都に設立する。
慶長19年(1614年)、禁教政策により兄・如安や高山右近らと共に呂栄(ルソン島)に追放される。配流後も日本女性13人と聖ミカエル会(旧・修道女会)を結成した。
寛永4年(1627年)2月11日、死去(享年62[1])。