明和8年(1771年)3月21日(または明和6年(1769年))、高遠藩嫡子の内藤頼多の長男として江戸四谷下屋敷で生まれる。父の死後、内藤頼尚が嫡子となったため、その養子となって安永5年(1776年)に家督を相続する。だが藩政では自ら城を抜け出して川干しを見たり、登山をしたり花火見物、遠乗りや猪狩りなどをして藩政を省みず、かえって領民にその際の負担を負わせて諸費用がかかったという。
しかし、寛政3年(1791年)に嫡子をもうけぬまま死去した。享年21(または23)。陸奥国福島藩板倉家から頼以を養子に迎え、跡を継がせた。