若い頃より諸国を歴訪し、名僧を尋ねた。
伊勢国の悟真寺6代目住職を務めた後、職を辞し関東へ移った。
初め増上寺9世貞把に学び、後に存貞の弟子となった。
1563年(永禄6年)存貞より相模国大長寺住職の座を譲り受け、2代目住職となる[2]。
1566年(永禄9年)10月14日、増上寺法主の座を存貞より譲り受け、11代目法主となる。
1582年(天正10年)11月、火災により増上寺を焼失。境内の再建に努めるが[3]、この頃より隠棲を志す。
1584年(天正12年)8月、弟子の慈昌に増上寺法主の座を譲り、天光院を開いて隠棲する。
同年9月5日、天光院を念誉春貞に譲り入寂する[4]。
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