円子宏
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岩手高校から東京農業大学へ進学。東都大学野球リーグでは専大、日大など伝統校の壁を破れず、在学中4位以下に沈む。リーグ通算85試合登板で23勝44敗をマークするが、44敗はリーグ記録である。3年次の1953年秋季リーグで記録した83奪三振は、1990年春季リーグで111奪三振を記録した亜大の小池秀郎に抜かれるまで、長らくリーグ歴代1位の記録であった。ただし、この記録は後に改定され、中大の高橋輝による107奪三振(1949年春)となっている[1]。
卒業後の1955年に南海ホークスへ入団。1年目の同年は速いシュートと鋭いカーブを武器に、5月中旬から先発陣の一角に入る。48試合に登板して12勝を挙げ[2]、2年ぶりのリーグ優勝に貢献。巨人との日本シリーズでは第5戦に宅和本司をリリーフして登板したが、2年目の1956年以降は登板機会が減少、1958年限りで退団。