円融院
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確かな史料からは尊称としての「大方殿」、院号の「円融院」が知られている。実名については従来「お鮮」「お福」「太万」など諸説があったが、「お鮮」は後述する「法鮮」銘五輪塔の法名からの連想で、また「太万」は貴人の母の尊称である「大方」の誤記から生じたものと考えられる。残る「お福」は文禄2年(1593年)、朝鮮へ出陣中だった宇喜多秀家の釜山帰陣を報じた豊臣秀吉書状(葉上文書)の宛名が「ふく」であることを根拠とするものだが、宛名がただ「ふく」とのみあることは、書札礼法上秀家の母とするには不審だとの指摘がなされており、結局のところ実名は不明とするほかない。一説に号と伝わる「備前殿」も確かなものとはいえないという。
生年
古来推測に基づく様々な見解が出されてきたが、今日では吉田兼見の日記『兼見卿記』の記事から天文18年(1549年)にほぼ確定したと考えられている。