1858年、摂津国川辺郡中谷村(現兵庫県川辺郡猪名川町)に生まれる。実母の実父(本人からみれば祖父)である富田太郎右衛門の二男として育てられた。[注 1]
富田家は大庄屋であったが、家の経済状況が悪化したため、16歳の時に自ら申し出て奉公に出る。1897年に友人の誘いで樟脳製造会社の支配人として台湾に渡り、てん草と鰹節、台湾米の事業で成功したのち、1899年に京城の支店長に任ぜられて朝鮮に赴任する。[注 2]鎭南浦を拠点に、多くの社会事業に携わった。
1930年8月27日、朝鮮で没した。死因は肺炎や胃炎など複数の症状が併発したことによる、全身の衰弱と呼吸困難である。[注 3][2]