凡河内躬恒
日本の歌人
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経歴
寛平6年(894年)甲斐権少目、延喜7年(907年)丹波権大目、延喜11年(911年)和泉権掾、延喜21年(921年)淡路権掾に任ぜられるなど、宇多朝から醍醐朝にかけて地方官を歴任。延長3年(925年)和泉国から帰京してまもなく没したという。
歌人として、歌合や賀歌・屏風歌において活躍し、昌泰元年(898年)の「朱雀院女郎花合」に出詠して以降、延喜7年(907年)宇多法皇の大堰川行幸、延喜16年(916年)石山寺御幸、延喜21年(921年)春日社参詣などに供奉して和歌を詠進した。またこの間の延喜5年(905年)には、紀貫之・紀友則・壬生忠岑と共に『古今和歌集』の撰者に任じられている。
三十六歌仙の一人に数えられ、『古今和歌集』(60首)以下の勅撰和歌集に194首入集するなど[3]、宮廷歌人としての名声は高い。家集に『躬恒集』がある。
逸話
代表歌
- 心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花(『古今和歌集』巻5-277、『小倉百人一首』29番)
- てる月を 弓張とのみ いふことは 山の端さして いればなりけり
- 春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは隠るる(『古今和歌集』巻1-41)


