刀祢館正也 From Wikipedia, the free encyclopedia 生年月日 1928年11月6日出生地 東京都没年月日 (1978-01-08) 1978年1月8日(49歳没)死没地 大阪府大阪市福島区(大阪大学医学部附属病院) 日本の政治家刀祢館 正也とねだち まさや生年月日 1928年11月6日出生地 東京都没年月日 (1978-01-08) 1978年1月8日(49歳没)死没地 大阪府大阪市福島区(大阪大学医学部附属病院)出身校 京都大学法学部卒業前職 中学校教諭所属政党 新自由クラブ称号 従五位勲四等瑞宝章 衆議院議員選挙区 旧兵庫2区当選回数 1回在任期間 1976年12月5日 - 1978年1月8日 兵庫県西宮市議会議員当選回数 2回在任期間 1955年 - 1961年テンプレートを表示 刀祢館 正也(とねだち まさや、1928年11月6日[1] - 1978年1月8日)は、日本の政治家である。衆議院議員(1期)。従五位勲四等。父は元朝日新聞社取締役。 伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2024年7月) 1928年 - 東京府(現:東京都)に生まれる。 1945年 - 兵庫県立第一神戸中学校卒業。 陸軍士官学校入学。その後、終戦となり浪速高等学校へ入学。 1952年 - 京都大学法学部卒業。西宮市立大社中学校教諭を務める[2]。 1955年 - 西宮市議会議員。以後2期務める。 1961年 - 西宮市教育長就任。 1975年 - 西宮市長選挙に無所属で立候補し次点。 1976年 - 第34回衆議院議員総選挙兵庫2区に初当選した。(新自由クラブ) 1978年1月8日 - 大阪大学医学部附属病院に入院中、腸閉塞に腹膜炎を併発し[2]、衆議院議員在職中に死去した。49歳没。死に際し角膜はアイバンクに献眼された。同月13日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付をもって従五位勲四等に叙され、瑞宝章を追贈された[3]。追悼演説は同年2月9日、衆議院本会議で土井たか子(同じ選挙区選出)により行われた[4]。 参考文献 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』(衆議院、1990年11月) 脚注 ↑ 『月刊新自由クラブ』第1巻第5号、新自由クラブ、1977年7月、p.8。 1 2 『月刊新自由クラブ』第2巻第11号、新自由クラブ、1978年2月、p.34。 ↑ 『官報』第15302号16頁 昭和53年1月18日 ↑ 第84回 衆議院 本会議 第7号 昭和53年2月9日 - 国会会議録検索システム 表話編歴 旧兵庫2区選出衆議院議員(1947年 - 1993年) 定数5 第23回 原健三郎 米窪満亮 中村俊夫 山下栄二 後藤悦治 第24回 原健三郎 井之口政雄 塩田賀四郎 吉田吉太郎 米窪満亮 第25回 山下栄二 原健三郎 富田健治 永田亮一 山口丈太郎 第26回 山口丈太郎 永田亮一 山下栄二 原健三郎 富田健治 第27回 山口丈太郎 山下栄二 永田亮一 原健三郎 前田房之助 第28回 原健三郎 富田健治 堀昌雄 山下栄二 永田亮一 第29回 原健三郎 山口丈太郎 富田健治 永田亮一 堀昌雄 第30回 原健三郎 堀昌雄 山下栄二 永田亮一 山口丈太郎 第31回 原健三郎 岡本富夫 堀昌雄 永田亮一 山下栄二 第32回 原健三郎 岡本富夫 永田亮一 堀昌雄 土井たか子 第33回 原健三郎 岡本富夫 木下元二 土井たか子 堀昌雄 第34回 永田亮一 刀祢館正也 岡本富夫 土井たか子 原健三郎 第35回 原健三郎 岡本富夫 堀昌雄 土井たか子 木下元二 第36回 永田亮一 原健三郎 土井たか子 岡本富夫 堀昌雄 第37回 岡本富夫 原健三郎 土井たか子 堀昌雄 藤木洋子 第38回 原健三郎 冬柴鐵三 土井たか子 鴻池祥肇 堀昌雄 第39回 土井たか子 鴻池祥肇 冬柴鐵三 堀昌雄 原健三郎 第40回 土井たか子 小池百合子 宮本一三 冬柴鐵三 原健三郎 典拠管理データベース 全般 ISNI VIAF 国立図書館 日本 Related Articles