鴻池祥肇

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生年月日 (1940-11-28) 1940年11月28日
没年月日 (2018-12-25) 2018年12月25日(78歳没)
死没地 日本の旗 東京都
鴻池 祥肇
こうのいけ よしただ
2013年参議院議員選挙の選挙演説にて
生年月日 (1940-11-28) 1940年11月28日
出生地 日本の旗 兵庫県尼崎市
没年月日 (2018-12-25) 2018年12月25日(78歳没)
死没地 日本の旗 東京都
出身校 早稲田大学教育学部
前職 尼崎港運株式会社
尼崎青年会議所理事長
日本青年会議所会頭
所属政党 自由民主党河本派→無派閥→麻生派
称号 正三位
旭日大綬章
学士(早稲田大学)
全日本剣道連盟剣道六段
親族 父・鴻池勝治
内閣 第1次小泉第1次改造内閣
在任期間 2002年9月30日[1] - 2003年9月22日[1]
日本の旗 内閣官房副長官(政務担当)
内閣 麻生内閣
在任期間 2008年9月24日[2] - 2009年5月13日[3]
選挙区 兵庫県選挙区
当選回数 4回
在任期間 1995年7月23日 - 2018年12月25日
選挙区 旧兵庫2区
当選回数 2回
在任期間 1986年7月6日 - 1993年6月18日
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鴻池 祥肇(こうのいけ よしただ、1940年11月28日 - 2018年12月25日[4][5])は、日本政治家位階正三位

内閣官房副長官麻生内閣)、防災担当大臣兼構造改革特区担当大臣(第1次小泉第1次改造内閣)、沖縄開発政務次官宮澤内閣宮澤改造内閣)、参議院デフレ脱却・財政再建特別委員長、同平和安全法制特別委員長、同国家基本政策委員長、同予算委員長、同決算委員長、同国旗・国歌特別委員長、同建設委員長参議院議員(4期)、衆議院議員(2期)、自由民主党参議院国会対策委員長社団法人日本青年会議所会頭などを歴任[2][1][6]

兵庫県尼崎市出身。神戸大学附属住吉小・中学校兵庫県立神戸高等学校を経て、早稲田大学教育学部卒業[7]

入閣時に公表された画像
2014年エストニアのパエト外務大臣と

日本青年会議所会頭を経て、1986年第38回衆議院議員総選挙旧兵庫2区より初当選。党内では河本派に属し、沖縄開発政務次官などを務める。3選を目指した1993年第40回衆議院議員総選挙で落選後、1995年第17回参議院議員通常選挙にて参議院議員に転じ、4期務めた。1996年6月から1997年6月まで参議院建設委員長1999年8月参議院国旗及び国歌に関する特別委員長、2000年12月から2002年9月まで自民党参議院国会対策委員長を務め、2002年9月30日発足の第1次小泉改造内閣で、構造改革特区担当大臣、防災担当大臣として初入閣。翌2003年6月、青少年育成推進本部副本部長(青少年政策の担当大臣職追加)。同年9月22日、内閣再改造により大臣を退任。2003年9月から2005年10月まで参議院決算委員長[8]

参議院議員転身後は無派閥を通していたが、2006年、国会議員以前から盟友関係にある麻生太郎麻生派を旗揚げする際にこれに参加し、同派副会長に就任した。2007年9月、参議院予算委員長に就任[8]

2008年9月、麻生内閣内閣官房副長官(政務担当)に就任[8]。その後、間質性肺炎のため入院、2009年5月13日に辞職した。

2018年5月10日、麻生派の会合において、高齢や体調面の問題を理由に2019年の次期参院選に立候補せず、政界から引退する考えを表明した[9]。しかし、参議院議員として任期を全うすることなく同年12月25日16時39分、間質性肺炎のため、東京都の病院で死去[10]78歳没。後日の閣議により、死没日付をもって正三位に叙し、旭日大綬章を追贈した[11][12]。参議院では5年ぶりとなった哀悼演説福山哲郎が務めた[13]

なお、祥肇の長男で公設秘書の鴻池肇一の公認を自民党兵庫県連に申請していたが、肇一は県連での選挙で兵庫県議会議員の加田裕之に敗れ、落選した[14]

主張、活動

郵政民営化反対

郵政国会において当初は「郵政民営化法案は議論が不十分であり、どちらかと言えば、消極的反対である。」と主張していたが、自民党執行部が造反者に除名を含めた厳しい処分をちらつかせ締め付けを強めると、これに反発。第1次小泉改造内閣成立当時からの盟友である青木幹雄片山虎之助らの説得を受けるが意見を覆さず、態度を硬化させ、讀賣テレビ放送たかじんのそこまで言って委員会』で、真っ先に郵政民営化法案反対を打ち出した。放送は中部地方から西日本の地域限定での放送(当時)だが、全国紙に発言が記事に載るなど物議を醸した。

2005年8月8日の郵政民営化法案の参議院本会議では反対票を投じた。その際、メディアのインタビューにて、「(執行部の締め付けに屈して法案を可決させた)衆院は、フライパンの上でバタバタしているヒヨコのようだ」「郵政法案は、船全体が沈もうとしているときに、船長室のペンキを塗りなおしているようなものだ」と法案を批判したが、小泉純一郎衆議院解散させ、メディアが一斉に自民党圧勝の予想を伝え始めると、選挙投票日3日前の9月9日に、それまでの意見を一転させ、2005年衆院選で与党が過半数を維持した場合、選挙後の特別国会に提出される郵政民営化法案に「民意」を尊重して賛成すると意思を表明した[17][18]。この後、同様に法案に反対票を投じた中曽根弘文も賛成の意思を表明し、続々と反対していた他の参議院議員たちも「民意」という言葉を口に出し態度を変えていった[19]

政治資金に関する不祥事への批判

第21回参議院議員通常選挙での与党敗北の一因として、相次いで発生した安倍内閣閣僚の不祥事を指摘している。「自民惨敗の大要因である『政治と金』の風邪発熱が安倍内閣の閣僚に次々と感染し」[20]ていると批判し、事務所職員が党の政治資金を私的流用していた内閣官房長官塩崎恭久を「だらし内閣感冒長官」[20]と揶揄している。

会期延長への批判

2007年6月、安倍内閣第166回国会での国家公務員法改正案成立を指示したため、自由民主党国会会期延長の検討を始めた。しかし、会期延長を行うと第21回参議院議員通常選挙の日程が変更(1週間繰り延べ)される見通しとなったため、鴻池は「日程的には100%不可能な法案を無理に参院へ送って成立をさせよ、その為には『参院選挙』の日程も変更してでもとは…。」[21]と嘆き、首相官邸スタッフに対し「苦労知らずの『仲良し官邸団』の諸君よ。参院は官邸の下請けと違うんやで」[21]と苦言を呈した。また、第21回参議院議員通常選挙の見通しとして「参院選挙の会期延長した時は、2回とも大敗してる」[21]とも指摘した。

予算委員長時代の活動

2007年9月に予算委員長に就任[22]

2008年3月14日の予算委員会で、国土交通副大臣松島みどり津田弥太郎の質問に対する答弁が自己の選挙区の事情を述べるなどして長くなった[23]揮発油税暫定税率への見解変化に関する質問であったが、話が原発周辺の緊急用道路整備に飛ぶに及んで鴻池も目に余ると判断し、松島に簡潔に答えるよう指示した[23]。しかし、松島は答弁を継続[23]。結局、「答弁を打ち切りなさい!」と鴻池が何度も大声で命令したにもかかわらず、松島は与党理事が直接制止するまで答弁を続けたため、「予算委員会を冒涜した」として委員長権限で異例の委員会出入り禁止処分を受けた。委員会審議終了後に松島は謝罪に訪れたが鴻池には会えず、鴻池は「私が委員長の間は委員会室に入れない」と述べた[24]。これに対し、野党である民主党から鴻池の対応を評価する声が上がった。

参議院幹事長への指名~否決

2011年9月、辞意を表明した参議院幹事長・小坂憲次の後任に参議院議員会長の中曽根弘文から指名され、中曽根は「鴻池幹事長・山本一太政策審議会長」の人事案を自民党参議院特別総会に提出したが、票数は賛成31・反対41・無効6で人事案は否決された。結局中曽根は町村・額賀・古賀3派が推す溝手顕正を参議院幹事長に、岩城光英を参議院政審会長に起用したため、鴻池の参院幹事長就任はならなかった[要出典]

著作

著作の一部はデジタル化されており、国立国会図書館デジタルコレクションなどで公開されている。

単著
  • 『いま、日本病を撃て : 傍観者の時代への訣別』(徳間書店, 1980年)国立国会図書館書誌ID:000001474617 doi:10.11501/12240211
  • 『お天道さんは見てござる』(幻冬舎ルネッサンス, 2006年)ISBN 4-7790-0105-6
共著
論壇雑誌等への寄稿(一部)
  • 鴻池祥肇 (1980) 日本の将来に係る問題に発言を <特集 八〇年代の人材構想 この人たちに聞く>. 望星, 11巻1号, pp.42-45. ISSN 0288-9862 doi:10.11501/7928159
  • 鴻池祥肇 (1980) 幅広い安保・防衛論議を〔日本青年会議所会頭に聞く〕<この人と一時間>. エコノミスト, 58巻19号, pp.30-33.
  • 鴻池祥肇 (1980) 女房に弱い男が日本をダメにする <トップトークサロン>. 月刊宝石, 8巻5号, pp.222. doi:10.11501/1731066
  • 鴻池祥肇 (1988) 住民相談室. 月刊自由民主, 通算428号, pp.184-185. ISSN 1342-5005 doi:10.11501/2826547
  • 鴻池祥肇, 森茂太郎 (1988) 唯一の内航現職社長兼衆議院議員 自民党河本派兵庫二区選出の尼崎港運社長 鴻池祥肇氏 <経営者トップインタビュー15>. 内航近海海運, 24巻414号, pp.74-79. ISSN 0388-4686 doi:10.11501/2880802
  • 鴻池祥肇, 本沢二郎 (1996) 政治評論家・本沢二郎の若手代議士に聞く ゲスト/参議院議員(自由民主党)鴻池祥肇氏 参議院で再出発--本当の政治はここにある!. 政界, 18巻10号, pp.88-92. ISSN 0918-0044 doi:10.11501/2889259
  • 鴻池祥肇, 勝谷誠彦 (2003) 直言前大臣、再び吠える 鴻池祥肇(前構造改革特区・防災担当大臣) 自民党への鉄砲水、今度はやばいで (巨大特集 総選挙直前 投票を左右する必読情報). 月刊現代, 37巻12号, pp.208-217.
  • 鴻池祥肇 (2015) 参院委員長が初めて明かす 安保国会大混乱の舞台裏 : 独占. マンスリーウィル, 132号, pp.56-63.

ほか。Cinii Research国立国会図書館サーチも参照のこと。

所属団体・議員連盟

発言

  • 2003年7月11日閣議後の記者会見長崎男児誘拐殺人事件について「嘆き悲しむ(被害者の)家族だけでなく、犯罪者の親も(テレビなどで)映すべきだ」「親を市中引き回しの上、打ち首にすればいい」と発言[26][27]。当時、鴻池は閣僚であり青少年育成推進本部副本部長を務めていたため、この発言が物議を醸した。一方で、一部報道では鴻池の発言を支持する声も多数寄せられたと伝えられた[28]
  • 2003年7月18日の衆議院予算委員会にて、東京都で発生した4女児監禁事件(プチエンジェル事件)に触れ、「少女4人も、加害者か被害者か分からない」と発言[29][30]。委員長の藤井孝男から真意を問いただされ[31]、発言を撤回した[32][29]
  • 2008年12月6日大分県杵築市の講演で、「『日教組が悪い』という中山さん(中山成彬)は正しい。文部科学省、あんな役所いらんと思うくらい、ろくなやつがおらん」と述べ日教組や文部科学省を批判。同月8日、内閣官房長官河村建夫から注意を受けた[33]。鴻池は、「擁護はしていないが極めてうちわの会合で、自分の気持ちを吐露した。大分県は教育が非常に混乱しているので批判した」「日本の教育問題は、すべて日教組が悪いわけではないが、その一因があるとの思いが強い表現になった」としている[33]
  • 2013年11月7日、為公会の会合で、園遊会の席上明仁天皇に書簡を手交し、のち右翼団体を称する人物から折り畳みナイフが郵送された山本太郎について「天誅を加えるべきだ」、14日の会合でも「切腹用の刀が送られたそうだ」「犯人は私ではない。私は近くに寄って、すぱっといくから。間接的な殺人はしない」と発言[34]
  • 2015年9月19日、参院特別委員会委員長として、いわゆる平和安全法制の参議院での審議を務めた。委員会での法案通過前夜、反対する野党議員に理事会室前を埋め尽くされた際には、部屋から出て委員会室に向かうことを「君みたいに大きな人が出ていって女性が倒れてケガをしたらどうするのか」として、開始予定時間から約22時間に渡って拒み続けた。鴻池は前後し、「時には野党寄りと非難されたが、どうしても不備な答弁が目立った気がする。今後、謙虚に(批判に)もう一度耳を傾けてもらいたい」と発言した[35]

森友学園問題

国有地が学校法人森友学園に格安で売却された件を巡っては、鴻池は2017年3月1日の夜に記者会見を開き、同学園理事長の籠池泰典と面識があることを明かした上で、2014年4月に面会した際に「封筒のようなものを差し出された」と証言した。「一瞬で「金だ」とわかった。だからそれを取って、「無礼者」と言った。(中略)それが、カネか、コンニャクだったか、天ぷらか、ういろうか、知らん。確かめてへんのだから。しかし現実として、私が手に持って投げ返した」と述べ、金銭の受け取りや口利きなどの関与については否定し、「野党がんばれ、学校を作らせたらいかん」と述べた[36]。一方で学園側は鴻池に渡そうとしたのは計3万円の商品券であったと明らかにした上で、「あいさつの意味で、お願いではない」などとして収賄を否定。また、逆に鴻池側から献金や寄付の強要があったと主張した[37]

不祥事

女性問題

  • 2009年1月15日発売の「週刊新潮」に、鴻池官房副長官の「議員宿舎」に泊まる超一流企業の「美人妻」と題した写真付きの記事が報じられた。同日、内閣官房長官河村建夫から首相官邸に呼び出され、「政府の中枢にある人が誤解されるのは不適切だ」と厳重注意を受けた。
  • 2009年1月22日発売の「週刊新潮」に、「議員宿舎妻鴻池官房副長官に今度は機密漏洩疑惑」との記事が掲載された。
  • 2009年5月13日発売の「週刊新潮」に、4月28日に女性と静岡県の熱海温泉へ旅行、30日まで同じ部屋で宿泊し、その際、国会議員に与えられるJR無料パスを使ったことを報じた記事が掲載された。同時期は新型インフルエンザの緊迫した時期でマスコミなどから批判された。

こうした状況を受け、首相の麻生太郎はあくまで健康問題が原因の辞任であるとの見解を示したものの、事実上は一連の不祥事の責任を取る形で内閣官房副長官更迭した[38][39]。その後、自民党兵庫県連は鴻池を処分として最も重い除籍とした。県連によれば、所属国会議員の除籍は初めて。その後、2010年8月30日に県連復帰が決まった[40]

略歴

選挙歴

当落選挙執行日年齢選挙区政党得票数得票率定数得票順位
/候補者数
第37回衆議院議員総選挙 1983年12月18日 43 旧兵庫2区 無所属 5万9413票 7.6% 5 8/10
第38回衆議院議員総選挙 1986年7月6日 45 旧兵庫2区 自由民主党 11万1013票 13.7% 5 4/8
第39回衆議院議員総選挙 1990年2月18日 49 旧兵庫2区 自由民主党 13万5461票 14.9% 5 2/10
第40回衆議院議員総選挙 1993年7月18日 52 旧兵庫2区 自由民主党 9万7747票 10.8% 5 6/7
第17回参議院議員通常選挙 1995年7月23日 54 兵庫県 自由民主党 37万9665票 22.9% 2 2/7
第19回参議院議員通常選挙 2001年7月29日 60 兵庫県 自由民主党 88万2584票 39.3% 2 1/8
第21回参議院議員通常選挙 2007年7月29日 66 兵庫県 自由民主党 86万0568票 34.9% 2 2/5
第23回参議院議員通常選挙 2013年7月21日 72 兵庫県 自由民主党 86万8069票 37.8% 2 1/7

家系

脚注

外部リンク

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