刁玄

From Wikipedia, the free encyclopedia

刁 玄(ちょう げん、生没年不詳)は、中国三国時代政治家揚州丹陽郡当塗県の人。

黄龍元年(229年)、孫権が皇帝に即位すると長男の孫登は皇太子となり、太子四友と呼ばれた諸葛恪張休顧譚陳表の4人はそれぞれ左輔・右弼・輔正・翼正都尉に任じられた。その時に、刁玄・謝景范慎羊衜の4人も同時期に賓客として招かれたため、東宮は多士済々という評判を取り活気づいたという。刁玄は五官中郎将に任じられた。

赤烏4年(241年)、孫登が亡くなったときに、その死に臨んで孫権への上疏の手紙の中に、「刁玄は度量の広い人物で、ひたすら道の真髄をふみ行っている」という評価がある。

孫亮の時代に、刁玄は侍中となった。その後の消息は不明だが、孫晧の時代まで呉に仕えたという。

逸話

参考文献

脚注

Related Articles

Wikiwand AI