別所 (地名解釈)
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菊池山哉の旧説であり、いまだ歴史学上の完全な定説となってはいない。本村の新田や枝郷とする解釈もある。しかし近年、柴田弘武によって本格的な再検討がなされつつある。柴田は更に約300ヶ所の別所を析出し、菊池の調査分と合わせて計約500ヶ所の別所を検討した結果、「菊池の説は動かし難いと思う」(『鉄と俘囚の古代史』)と述べている。
菊池山哉は「古く音読の地名は、官符に関係あるものに限るようです」とし、音読の「別所」(ベッショ)を官符関係のものと推定している。『延喜式』には「俘囚料」の「計帳」があり、811年(弘仁2)3月に「始めて諸国をして俘囚計帳を進めしむ」とある。菊池の説はこの「俘囚」の移配地を「別所」と考えるものである。「移配」は菊池の造語。