足立郡
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郡域
歴史
- 「足立」の由来は、もと万葉仮名で「阿太知」だった[1]ものを諸国郡郷名著好字令により置き換えた[2]とみられるほか、日本武尊(または坂上田村麻呂)が立てるようになったという伝説や「葦立ち」の転じたものとする説もある。
- 足立区の伊興遺跡ほかから、弥生時代末期から平安時代中期にかけての遺物が出土している。
- さいたま市の大久保領家遺跡や、氷川神社東遺跡の掘立柱建物[3]は、平安時代中期(9 - 10世紀)に拡大したとみられる。
- 735年 - 長屋王邸出土木簡に足立の文字。
- 927年 - 延喜式神名帳に足立神社、氷川神社(武蔵国三宮、のち一宮))など。
- 934年 - 和名類聚抄に武蔵国足立郡が記載。
- 明治初期の村誌(のち武蔵国郡村誌)には、5町(鳩ヶ谷・川口・大門・与野・原市)、7宿(草加・蕨・浦和・大宮・上尾・桶川・鴻巣)、306村、32新田が記載されている[4]。
古地名
和名類聚抄に4-5郷および郡家郷・余戸郷が記されている。比定は日本歴史地名大系による[5]。
- 堀津・発度(ほりつ・ほつと)
- 不詳。さいたま市風渡野(ふつとの)を遺名地とみる説、さいたま市西堀との関係をみる説、鴻巣市登戸とみる説がある。写本によっては堀津と発度を別の郷としている場合がある。
- 殖田(うえた)
- さいたま市植田谷本を遺名地とし、その一帯に比定されている。
- 稲直(いなほ)
- 桶川市・上尾市・伊奈町の一帯とされている。
- 郡家
- 郡衙所在地と考えられ、さいたま市大宮区の一帯と考える説がある。
- 大里
- 不詳。さいたま市、蕨市、伊奈町などに比定する各説がある。
- 余戸
- 不詳。鴻巣市、足立区などに比定する各説がある。
近代以降の沿革
- 所属町村の変遷は南足立郡#郡発足までの沿革、北足立郡#郡発足までの沿革をそれぞれ参照