延喜式
醍醐天皇が命じ藤原時平、藤原忠平がまとめた一連の法規制
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成立
延喜5年(905年)8月[2]、醍醐天皇の命により藤原時平らが編纂を始め、時平の死後は藤原忠平が編纂に当たった[1]。『弘仁式』『貞観式』とその後の式を取捨編集し、延長5年(927年)に完成した[3]。その後改訂を重ね、康保4年(967年)より施行された[4]。
編纂者
『国史大系』第13巻「延喜式序」による。特記なき場合、延喜5年(905年)8月から参加。「<上表>」は上表文に署名したことを示す。
- 藤原時平(延喜9年(909年)薨去)
- 藤原定国(延喜6年(906年)薨去)
- 藤原有穂(延喜7年(907年)薨去)
- 平惟範(延喜9年(909年)薨去)
- 紀長谷雄(延喜12年(912年)薨去)
- 藤原菅根(延喜8年(908年)卒去)
- 三善清行(延喜18年(918年)卒去)
- 大蔵善行
- 藤原道明(延喜20年(920年)卒去)
- 大中臣安則(延喜5年(905年)8月から参加。延長3年(925年)再任)<上表>
- 三統理平(延長4年(926年)卒去)
- 惟宗善経
- 藤原忠平(延喜12年(912年)2月から参加)<上表>
- 橘澄清(延喜12年(912年)2月から参加。延長3年(925年)薨去)
- 藤原清貫(延長3年(925年)2月から参加)<上表>
- 伴久永(延長3年(925年)2月から参加)<上表>
- 阿刀忠行(延長3年(925年)2月から参加)<上表>
内容
全50巻、約3300条からなる。律令官制に従い、以下のような構成。
上表・序・目録
- 上延喜式表
- 延喜式序
- 延喜式目録
巻第1 - 10:神祇

神祇官関係の式。この部分を神祇式という。巻ごとによる記載内容の趣旨は以下となる。巻第9・10は通称延喜式神名帳であり、神社の一覧表となっていて、祈年祭で奉幣を受ける2861社の神社を指定している。神名帳に記載があるのは当時朝廷から重要視された神社であり、一般に式内社と言って社格の一つとされたが、現在では消滅したり不明となっている神社も多い。
巻第11 - 40:その他官司
その他官司関係の式。巻第21(諸陵寮)には諸陵式が含まれる。巻第22(民部省)には「凡諸国部内郡里等名 並用二字 必取嘉名」とあり、全国の地名が変更された。巻第24(主計寮)には、全国への庸、調、中男作物の割り当て等が書かれており、当時の全国の農産物、漁獲物、特産物を伝える。巻第28(兵部省)には諸国駅伝馬条が含まれ、五畿七道の402ヶ所の駅家の名称と備えるべき駅馬の数が記載されている[5]。
| 巻11 | 太政官 | 太政官 |
|---|---|---|
| 巻第12 | 中務省 | 中務省・内記・監物・主鈴・典鑰 |
| 巻第13 | 中宮職・大舎人寮・図書寮 | |
| 巻第14 | 縫殿寮 | |
| 巻第15 | 内蔵寮 | |
| 巻第16 | 陰陽寮 | |
| 巻第17 | 内匠寮 | |
| 巻第18 | 式部省 | 式部省上 |
| 巻第19 | 式部省下 | |
| 巻第20 | 大学寮 | |
| 巻第21 | 治部省 | 治部省・雅楽寮・玄蕃寮・諸陵寮 |
| 巻第22 | 民部省 | 民部省上 |
| 巻第23 | 民部省下 | |
| 巻第24 | 主計寮上 | |
| 巻第25 | 主計寮下 | |
| 巻第26 | 主税寮上 | |
| 巻第27 | 主税寮下 | |
| 巻第28 | 兵部省 | 兵部省・隼人司 |
| 巻第29 | 刑部省 | 刑部省・判事・囚獄司 |
| 巻第30 | 大蔵省 | 大蔵省・織部司 |
| 巻第31 | 宮内省 | 宮内省 |
| 巻第32 | 大膳職上 | |
| 巻第33 | 大膳職下 | |
| 巻第34 | 木工寮 | |
| 巻第35 | 大炊寮 | |
| 巻第36 | 主殿寮 | |
| 巻第37 | 典薬寮 | |
| 巻第38 | 掃部寮 | |
| 巻第39 | 正親司・内膳司 | |
| 巻第40 | 造酒司・采女司・主水司 | |
| 巻第41 | 弾正台 | 弾正台 |
| 巻第42 | 京職 | 左右京職・東西市司 |
| 巻第43 | 春宮坊 | 春宮坊・主膳監・主殿署 |
| 巻第44 | 勘解由使 | 勘解由使 |
| 巻第45 | 兵衛 | 左右近衛府 |
| 巻第46 | 左右衛門府 | |
| 巻第47 | 左右兵衛府 | |
| 巻第48 | 馬寮 | 左右馬寮 |
| 巻第49 | 兵庫寮 | 左右兵庫寮 |
巻第50:雑式
| 巻第50 | 雑式 |
|---|
「国史大系」, 国立国会図書館を基に作成
歴運記
「歴運記」(れきうんき)または「公卿記」(くぎょうき)[6]は流布本『延喜式』巻首に付いている文書であるが、「国史大系」では本文から除き附録として収録されている[7]。「歴運記」には「起神武天皇元年至今上弘仁二年歴一二千四百七十一年」とあり、また弘仁2年(811年)を今年と呼んでいるため、弘仁2年に書かれたものである[8]。議政官の沿革が書かれているが、議政官ごとの任官者数はどれも弘仁2年時点より明らかに少なく[9]、虎尾達哉は天平宝字元年(757年)12月時点の数字であると想定している[10]。
