前川たけし
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生い立ち
1960年、北海道旭川市で生まれる。
当時は、週刊少年マガジン・週刊少年サンデー・週刊少年ジャンプなどが創刊されたり、1963年には初のテレビアニメ「鉄腕アトム」が放送開始されるなど、物心つく頃には漫画やアニメが身近に溢れていた初期の世代だった。その影響で、小さい頃から絵を描くのが好きで、うまく描けるようになりたくて没頭していたという。
小学校には、人気キャラを巧みに描く同級生がいて刺激を受けていた。模写よりも動きのある絵を描くことが好きで、アニメを見ていても「気持ちのいい動き」に敏感で、「躍動感」に心惹かれていたという。
中学生になると、ノートの余白に「パラパラ漫画」を描くようになり、キャラクターの全身を動かすことに熱中していた。動きを描くことに慣れていったが、ストーリーもキャラクターも作れず、コマ割りの漫画はまったく描けなかったという。
高校時代は映画にハマったが、ビデオのない時代なので映画館に通い、家ではテレビ放映の古い映画を熱心に見ていたという[1]。
大学時代
大学では、当初は映画研究会に入る予定だったが、漫画研究会の楽しげな雰囲気につられて、そのまま漫研に入会を決めてしまう。その頃、当時まだ見ていなかった大傑作「ルパン三世 カリオストロの城」「未来少年コナン」との衝撃的な出会いを果たし、宮崎駿の絵コンテから学ぶなど、冒険活劇に憧れを持つようになる。
漫研では、同人誌を年1回ほど描くことになり、1年目の同人誌は惨敗、2年目は起承転結があるレベルだったという。3年目に描いたのが、当時好きだったカンフー映画から着想を得た「拳法少年の漫画」で、これが学園祭に来た出版社2社の担当者の目に留まり、出版社に呼ばれる。
そのうちの1社が講談社の「月刊少年マガジン」であり、「話とアイデアは担当編集から提供するので、カンフー漫画やってみない?」という担当者2名からの提案があり、読切マンガを描くことになる。
それから、3人で打ち合わせをしながらコンテを描き続けることになるが、修正してもボツが続く。当時、他の漫画誌では担当編集は1名のところが、月マガでは複数の担当者がついて、さらに編集長まではアドバイスを行うなど、編集部一丸となって力を結集させるエネルギーに満ちていたという。
コンテが連載会議に通り、原稿がない中で連載決定となって、あわてて読み切り原稿『鉄拳チンミ』の第一話を描くことになった。人気アンケートで10位以内なら連載という条件で、『鉄拳チンミ』は9位となり連載決定された[2]。
デビュー後
1983年、『月刊少年マガジン』掲載の「鉄拳チンミ」でデビュー。1988年にアニメ化されるなど同誌の大ヒット作となり、2019~2025年まで休載を挟みつつも2025年現在まで続く人気作品となる。
その後、1980年代末より『月刊少年マガジン』『週刊少年マガジン』『コミックボンボン』など講談社の漫画雑誌で活躍。代表作に『鉄拳チンミ』シリーズ、『ブレイクショット』など。
前川の代表作である『鉄拳チンミ』シリーズ(現在は『鉄拳チンミLegends』)は、『DEAR BOYS』と共に『月刊少年マガジン』を代表する長期連載作品となっている。同作品はアニメ化もされ、テレビ朝日系にて1988年7月2日から12月24日まで全20話が放送された。