前川恭兵
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プロ入り前
小学1年から野球を始めると、4年時からは大阪平野富士ボーイズに所属した。
阪南大高時代は、1年時の夏から公式戦に登板。2年時の春では、府大会2回戦桃山学院高戦で自己最多の17奪三振を記録。夏は初戦で強豪・上宮太子高と当たり3失点で敗れたが、秋は16強に進出。3年時の夏は、右肘の怪我の影響で登板機会が無いままチームが敗退した。
2010年のドラフト会議で、埼玉西武ライオンズから4巡目で指名[1]。契約金3000万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は69。
プロ入り後
2011年には、高校時代に痛めた右肘のリハビリに専念。8月24日に東京ヤクルトスワローズとのイースタン・リーグ公式戦でプロ初登板を果たしたが、1死を取っただけで4点を失った[2]。シーズン通算では、同リーグ公式戦4試合に登板。防御率5.40という成績で、勝敗は付かなかった[2]。
2012年には、一・二軍とも公式戦への登板機会がない[3]まま、10月31日に球団から支配下選手登録の解除を通告[4]。11月16日には、育成選手として再び契約したことや、背番号を121に変更することが球団から発表された[5]。
2013年にも、公式戦への登板機会がなかった。シーズン終了後には、育成選手に関するNPBの規約に沿った自由契約選手としての公示(10月31日)[6]を経て、育成選手としての再契約(11月18日)に至った[7]。
2014年には、3年振りにイースタン・リーグで公式戦に復帰。12試合の登板で、0勝2敗、防御率7.62という成績を残した。
2015年には、イースタン・リーグ公式戦4試合に登板。勝敗は付かなかったが、通算で4イニングを無失点に抑えた。8月8日からベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)の武蔵ヒートベアーズへ派遣された[8]が、リーグ戦には6試合の登板で1勝3敗、防御率5.74という成績にとどまった。10月2日に球団から戦力外通告を受けた[9]ことを機に、現役を引退。
現役引退後
自身と同時に西武から戦力外を通告された林﨑遼・梅田尚通と共に、株式会社トラバース(かつてのチームメイトだったG.G.佐藤の実父が経営する測量会社)へ勤務し[10]、3年間、同社の軟式野球部でもプレーした[11]。