前掌大墓地
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1994年10月から12月にかけて発掘がおこなわれ、墓11基、馬の犠牲坑2基、さらに祭祀遺跡と井戸の調査が完了した[1]。
11号墓は、墓口の規模が南北3.8m、東西1.96m - 2.06m、深さは3.34m。槨は「井」の字形で、棺の底には細かい砂が敷かれていた。北側の二層台には、青銅製の甲冑が10点置かれていた。東の二層台には、一人の殉葬者の遺体があった。側身屈肢の姿勢で両手を後ろで縛られ、頭と腰のあたりに装飾品が置かれていた。西の二層台には、赤と黒の漆を交互に塗った楕円形の盾が3点、やはり赤と黒の漆で色づけされた牌飾が2点、木組みの器物が1点、そのほか青銅の甲冑、土器の鬲、亀甲などが並んでいた。南の二層台にも、赤と黒の漆を交互に塗った楕円形の器物が置かれていた[2]。
副葬品のうち、青銅器としては円鼎・方鼎・罍・提梁卣・提梁壺・尊・觶・斝・盉・簋・甗・盤・觚・爵・角・冑・刀・戈・鏃が出土した。このうち鼎・卣・觶・爵・角には、銘文が見られる。罍と提梁卣の中には液体が入っており、当時の酒と考えられる。副葬品は槨と棺の隙間にも置かれていた。東の隙間には、23点の青銅製の戈が立てて置かれていた。西の隙間にも、青銅の戈・矛・鏃のほか、亀甲や骨を彫った装飾品などが置かれていた[2]。棺内の北側部分からは、玉璜・玉飾・玉片・玉の錐形器・緑松石・骨器・石器などが出土した[3]。
18号墓の被葬者は、仰伏屈肢の姿勢で葬られていた。副葬品として60点以上の青銅器が出土しており、そのうちの13点が青銅礼器であった。また2点の提梁卣の中には、酒と思われる液体が入っていた。二層台には、馬車が一台置かれていた[4]。
21号墓からは、50点以上の青銅器が出土した。そのうち青銅礼器は14点を数え、銘文が鋳込まれているものもあった。そのほかの副葬品としては、玉器・象牙の杯・漆塗りの坏・案・牌飾などがあった。また二層台西南隅に長さ65cm、幅60cmの1匹の大亀が置かれていた[4]。
脚注
参考文献
- 黄石林、朱乃誠『中国文化史ライブラリー 中国考古の重要発見』高木智見訳、日本エディタースクール出版部、2003年。ISBN 4-88888-330-0。