前田常作
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前田 常作 | |
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1963年 | |
| 生誕 |
1926年7月14日 |
| 死没 |
2007年10月13日(81歳没) 大阪市(小磯記念大賞展審査滞在中) |
| 国籍 |
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| 教育 | 武蔵野美術学校 |
| 著名な実績 | 洋画、版画、リトグラフ、曼荼羅画 |
| 代表作 | 《西国巡礼》《坂東巡礼》《秩父巡礼》《人間誕生》《瞑想マンダラ図》 |
| 運動・動向 | 抽象表現主義、アンフォルメル、前衛美術、シュルレアリスム |
| 受賞 |
国際青年美術家展大賞(1957年) 日本国際美術展東京国立近代美術館賞(1961年) 日本芸術大賞(1979年) 仏教伝道文化賞(1989年) 安田火災東郷青児美術館大賞(1993年) 紫綬褒章(1994年) 勲四等瑞宝章(2000年) |

前田 常作(まえだ じょうさく、1926年7月14日 - 2007年10月13日)は、日本の画家、版画家。曼荼羅を主題とした抽象絵画と、《日本百観音》巡礼版画で知られる。2012年のニューヨーク近代美術館企画展「Tokyo 1955–1970: A New Avant-Garde」に出品された[1]。
戦争体験と初期
1926年、富山県下新川郡椚山村(現在の入善町)に生まれる[2]。1945年、富山歩兵第69連隊に入隊中、富山大空襲を目撃し「市中の惨状を目の当たりにし、人間の生死について深く感ずるところがあった」と記している[2]。
1947年富山師範学校本科卒業後、上京。1948年鶴田吾郎洋画研究所に学び、安井曽太郎の夏期講習を受ける[2]。1949年武蔵野美術学校西洋画科に入学、清水多嘉示、三雲祥之助に師事した[2]。
シュルレアリスムから前衛へ
1953年卒業後、制作者懇談会で池田龍雄、河原温らと交わる[2]。1955年、瀧口修造の推薦によりタケミヤ画廊で初個展を開催。第8回日本アンデパンダン展には「狂った人」「偶像」「アリバイ」など6点を出品した[2]。
1957年、第1回国際青年美術家展で大賞を受賞[3]。文化自由会議の奨学金を得て翌年渡仏[4]。
パリと曼荼羅
1958年から1962年までパリに滞在[5]。1959年、批評家コンスタンティ・ジェレンスキーにより《夜のシリーズ》等の作品を「マンダラ」と評され、以後、曼荼羅を意識した制作を行うようになった[2]。パリではギメ美術館等で密教図像を研究した。
1961年、第6回日本国際美術展で東京国立近代美術館賞を受賞。1962年、長女の誕生を機に《人間誕生》《人間空間》シリーズを開始[2]。1963年一時帰国し、東寺の両界曼荼羅に感銘を受けた[2]。

インド巡礼と研究
1965年再渡仏。1970年インド・ネパールを旅行し「人間の生死や輪廻について考えを深めた」[2]。1971年、第2回インド・トリエンナーレに出品。
1977年、日本美術家連盟派遣によりネパール、インド、スリランカ、中国を歴訪。帰国後、《観想マンダラ図シリーズ》を開始した[2]。1978年より曼荼羅研究会を指導[6]。
日本百観音
1979年、1977年の訪中の成果の発表と長年のマンダラ研究が評価され第11回日本芸術大賞を受賞。同年より西国三十三所巡礼を開始し、《西国巡礼》シリーズに着手した[2]。京都市立芸術大学教授に就任。
1983年武蔵野美術大学教授。1988年、東京画廊でリトグラフ集『西国巡礼』発表展を開催した[7]。『西国巡礼』(新潮社、1988年)は全33点の石版画で構成され、限定62部、定価180万円で刊行された[8][9]。
その後、坂東三十三観音、秩父三十四観音を巡礼し、20年以上をかけて日本百観音の版画を完成させた。1989年仏教伝道文化賞、1993年《瞑想マンダラ図》により安田火災東郷青児美術館大賞を受賞[2]。
晩年
1992年紫綬褒章受章。1994年武蔵野美術大学学長に就任。1995年富山県入善町名誉町民。2000年勲四等瑞宝章受章、武蔵野美術大学理事長に就任。2002年「マンダラへの道」展開催。
作風
作品集
- 『曼荼羅への旅立ち』河出書房新社、1978
- 『マンダラの旅』法蔵館、1982
- 『西国巡礼』新潮社、1988年
- 『前田常作版画作品集』佼成出版社、1989
- 『前田常作 観音マンダラ』里文出版、2005